封建的な因習から差別される青年の苦悩を描いた「破戒」や詩集「若菜集」を世に送った島崎藤村は、筑摩県馬籠村で生まれた。言うまでもなく中山道の宿駅であり、厳しい道中の人々にとっては、旅の疲れをも癒すオアシスであったに違いない。恵那山などの高峰に囲まれ山また山が迫る宿場―。そこに泊まり旅人が往来する街が馬籠なのである▼父・正樹は庄屋だったし村の指導者でもある。山林を多く持っていたらしいが、明治政府の法令改正で国有地にされた悲劇は「夜明け前」などに詳しい。そんな文豪の故郷が岐阜県の中津川市と合併した。人名事典や辞書を発行する出版社は大変な難物を抱えてしまい四苦八苦らしいが馬籠の人々は「自分たちで決めたことだから」と意外にさばさばした表情らしい。県は別になっても「信州の島崎藤村」ということのようだ▼中津川市も江戸の頃は宿場であり、ブラジルとはレジストロと姉妹都市を結び交流も活発である。馬籠の宿や付近で生まれ育った人たちもサンパウロには六―七人はいるらしいのだが、彼らも「越県合併は時代の流れ」と割り切っているらしく、恬淡としているのがいい。名物知事・田中康雄氏は威勢よく「反対」をして見せたが、県議会は「大賛成」▼何よりも馬籠の人々や山口村の住民が合併推進派なのだから勝負は初めからついていたとしか申しようがない。県境はあっても、村や町の人々は隣組で付き合いも深く親しい。新しい中津川になっても、奈良や平安時代の昔に戻っただけであり楽しい21世紀を築くと期待したい。(遯)
05/2/17