2月19日(土)
二度の脳内血管腫に襲われ、半身不随になりながらドイツで手術を受け回復したイトウ・サユリ・カーチャさん(41、三世)が、その厳しい体験談を書いた本『do outro lado do sol』(「日いずる国の反対側から」の意、o nome da rosa editora二十三レアル)を〇二年に発表した。「日本では自殺者が多いと聞きます。そんな人たちにも是非、私の本を呼んで元気を出して欲しい」と願い、日本で出版するための協力を求めている。
「十九歳の時、コーペルコチアのプールで泳いでいたら突然めまいを感じ、プール脇にいたご婦人に『手を貸してください』と声をかけたら、『なんてプレギッサ(怠慢)な』と言われたのを憶えています。その瞬間に気を失い、十日間意識不明になり、生死の境をさ迷いました」とイトウさんは回想する。
前年一九八二年に、ロンドリーナのパラナ州立大学医学部に入学したばかり、明るい希望に溢れた女医の卵だった。脳の左側が血管腫から脳溢血になり、記憶を失うと共に、右半身の感覚を失った。
「当時、ブラジルで手術したら成功率五%、ドイツでさえ三〇%と聞きました。父の友人が同様の手術をフランクフルトで受けて上手くいったとの話を頼りに、ドイツに渡りました」という。担当したマリオ・ブロッキ医師はブラジル人で四十年前に渡独。人望があり、ドイツ政府の制度の利用して医療費の大半を無料にしてくれた。車椅子生活四カ月を含めて一年半かけてリハビリした。
「正直言って、自殺しようと思ったこともありました。だって自宅で治療を続けていても、食事もすれば何もする。生活全てが大変だったのです。私をお風呂に入れるだけで二人がかり。申し訳なくて、申し訳なくて。でも、自殺したくても体が動かなかった……」と振り返った。
「記憶喪失になって、ポルトガル語さえ忘れてしまったんです。Lという字を見て、見覚えはあるんですが発音が思い出せませんでした。分りますか? この気持ち」。
車椅子から開放された時、「自分より辛い経験をしている人はいっぱいいる。彼らのために何かできないか」と考え始め、八八年から体験をメモに綴り始めた。「いつか本になったらいいな」。
再び大学を目指し、八五年にマッキンゼー大学入学。八八年に無事卒業し、クリニックなどで働き始めた。九二年から輸出入を勉強しようと同大学の大学院で修士課程まで終わらせた。全てが順調に行くかと思えた九六年十一月、再び脳内血管腫に襲われ、ドイツで再手術をした。「一回目もよりも軽かったけど、回復するまでに一年以上かかりました」。
両親は九〇年から日本にデカセギに行き、娘の再起を支えた。今はサンパウロ市内で父と同居するイトウさんだが、母親は引き続き群馬県で働いている。
二回目の後、本格的に著述に専念し、〇二年八月に出版された。三千部印刷し、各書店で販売されている。うち二千五百冊はすでに売れたという。同年からイタウ銀行両替部でコンピューターの仕事をする。
「歩くなど体を動かすことはできるが、今も右半身には感覚が戻らないし、右目も焦点が合わない」という。知らない間に足をけがして一カ月半もギブスをはめていたこともある。
「日本とドイツのおかげで今の自分がある。何かの形で恩返しをしたい。日本では多くの人が苦しみ悩んで自殺していると聞き、もっと元気を出して欲しいと思いました。まずは日本語で出版したい」と語る。病魔を捻じ伏せた不屈の精神は、ここでも発揮されそうだ。「すぐには無理でしょうか。いつか、きっと叶うと思っています」。