ホーム | 日系社会ニュース | ブラジルの蛇飼って研究53年=〃蛇博士〃=中島さん、展示会と講演会=サンパウロ州奥地で20年間=リノーポリス、町の名士

ブラジルの蛇飼って研究53年=〃蛇博士〃=中島さん、展示会と講演会=サンパウロ州奥地で20年間=リノーポリス、町の名士

2月25日(金)

 蛇を集めて五十三年になる。多い時には、百匹以上を飼育。有毒・無毒の見分け方や応急処置の仕方などを一般に知ってもらうため、約二十年間サンパウロ州奥地を歩いて展示会を開いた。高齢のために巡回は休止してしまったが、講演会の声がかかれば惜しみなく知識を披露するつもりだ。リノーポリス(トゥッパンから三十八キロ)の自宅には、今でも血清注射を求めてくる人や、見学人が後を絶たない。蛇博士、中島義郎さん(79、大阪府出身)に話を聞いた。
 一九三四年に家族八人で移住した中島さんは、リベイロン・プレットやリンスを経て、五一年に現在地に移った。農作業を始めてすぐ、肝を冷やした。大小の蛇が、次から次と現れたからだ。いつ咬まれても、おかしくない状況だった。
 「毒蛇にやられて、命を落とすかもしれないと思うとぞっとした」と中島さん。翌五二年から蛇を捕獲してはブタンタン研究所に持ち込み、血清と交換してもらった。
 いざという時のために、医薬品を常備しておこうと考えたのだ。実際に、これまでカイサカなどに四回咬まれ、貧血や三十九度を越す高熱に苦しめられた。幸い手当てが早かったため、いずれも大事には至らなかった。
 血清注射を持っていることは次第に町の評判になり、自宅を訪れる患者が出始めたという。医師の免許が無いため、もぐりでの医療行為だった。
 早期治療が不可欠だからとにかく注射を打ってほしいと、ブタンタン研究所が後押し。これまで、二百人以上を救った。「誰一人として、患部を切断しなくて済んだ」と胸を張る。
 小屋をつくって蛇の観察を続けた中島さん。飼育数は一時、五十種百匹を数えた。居住地周辺でみられる毒蛇は、主にカスカベール系かジャララカ系であることが分かった。
 治療を通して蛇に関する認識が、市民に不足していることを痛感したのが、巡回展示会を始めたきっかけ。
 「つい最近も、大蛇が逃げ出したから捕まえてほしいと、深夜一時半に地元の警察当局から依頼が入り、現場に駆けつけた。一メートル三十センチほどの無毒のコブラ・プレットで拍子抜けした」
 約二十年間、展示会を実施して、応急処置の仕方などを指導した。実績は、バウルー、オウリニョス、カタンドゥーヴァなどで計二百二十回以上に上った。これと並行して、講演依頼も入ってきた。
 「ちょっと年なので、展示会をやるのは体力的に無理だけど、講演会の誘いがあれば出掛けていくつもりです」とまだまだ現役だ。
 町の名士になったため、少々困ったことが起こったという。見学者がひっきりなしに訪れるため、本業の野菜作りなどが疎かになってきたからだ。「以前は無料開放していたんだけど、今は入場料をもらうことにしているんです」と照れ笑いを見せる。
 九六年に、有毒・無毒の区別、症状から蛇にまつわる言い伝えの真偽まで、一冊の冊子「蛇の家庭医学」にまとめた。体験を通じて得られた知識の集大成のようなものだ。