2月25日(金)
「ブラジル農協婦人部連合会(ADESC)の皆さんのバイタリティには圧倒されました。(平均年齢が若い)私たちも頑張らなければならない、という大きな刺激を受けました。これが、今回の交流の最大の成果でした」。去る十七日、一泊二日の日程でサンパウロ州を訪問したパラグアイ・ピラポ移住地の農協婦人部一行(三十八名)の農業視察と親善交流を終えての感想だ。
無理もない。先の一月二十五日と二十六日にパラグァイに親善旅行に出かけたADESC一行(本紙・二月三日~四日報道)三十九名の年齢合計が二千四百五十歳だった。一人の差があるにしても、ピラポ一行の年齢合計千八百十一歳とは六百歳ほどの違いがある。ADESCが誕生した十一年前に遡っても、三十九名の平均年齢がピラポの今のそれよりも十歳も高い。
コチア産業組合の解散という、悪夢の事態から共同精神で立ち上がり、今のADESCを築き上げてきた会員たちのバイタリティが年齢を感じさせない元気さの秘訣であり、その自信と誇りがピラポの女性たちの心を圧倒したのかもしれない。
◇ピラポ移住地は45歳
ピラポ移住地は一九六〇年八月二日に入植が始まった。今年は四十五周年を迎える。岩手、愛媛、高知三県出身者が多い移住地を象徴するかのように、今回のブラジル訪問団の過半数(二十三名)が三県出身者だった。
移住地は首都アスンシオンから四百キロ、ブラジルとの国境にあるシダーデ・デル・エステ市から二百六十八キロの地点に位置している。複数の川が流れているため、農業用水は豊富だ。農地も殆どがテーラ・ロシャと呼ばれる肥沃な赤土に恵まれている。ピラポ市の人口は約八千人。その中で日系が約千六百人。四十キロほど離れているラパス移住地(本紙・二月十五日報道)と同じように、日系人が市長になっているほど、移住者の貢献は不動のものとなっている。
今の市長は二世の永見禎輝(ながみ よしき)さん。ピラポ農業協同組合(組合長理事・山下年彦)は、入植直後の六〇年十一月三日に設立された。現在の組合員は百二十五名だ。大豆と小麦が主作物で、二千七百五十ヘクタールに栽培されている。不耕起栽培が定着し、今では全面積に広がっている。
農協婦人部の会員は百十三名で、部長は小山あや子(旧姓・及川、岩手県)、副部長は山下加恵(旧姓・堀川、高知県)だ。
◇伯パ日系婦人部交流の始まり
今回のピラポ農協婦人部ブラジル農業視察・親善交流団のサンパウロ訪問は、ブラジル農業拓植協同組合中央会(農拓協、原林平会長)の協力で実現した。〇三年九月、南米日系農協連絡協議会の発足に向けて、日系農協の参加を呼びかけるため、原会長らがラパス移住地を訪問した折りに、同移住地の農協婦人部から、ブラジルを訪問したい、との相談を受けた。それを受けて、パラグァイ日系農協中央会と農拓協で調整を行った結果、同年十一月にラパス農協婦人部親善交流団のサンパウロ訪問が実現した。
その時もブラジル農協婦人部連合会(ADESC、上芝原初美会長)が中心となって交流が行われた。その交流が好評だったため、今度はピラポがブラジル訪問を計画した。そして、二月十七日朝、一行三十八名がADESC会員が待つサンパウロに到着した。(文中・一部敬称略)