3月1日(火)
【エスタード・デ・サンパウロ紙二十八日】誘拐された我が子を探し求めて二十五年、執念が実り、親は子の所在をついに突き止めた。電話で親子であることを確かめ合ったものの、母親はアラゴアス州マセイオ市、子はサンパウロ市内に住んでおり、お互いにバス代を捻出できないため、涙の対面はできず、ハッピーエンドはお預けとなっている。
誘拐されたのは双子の姉妹で、一九七九年七月、二人が一年八カ月の時に、当時住んでいたサンベルナルド・ド・カンポ市内の預け先で連れ去られた。母親は失意のどん底に陥り、現在住むマセイオ市に移り、家政婦から現在はちいさなバールを経営している。双子の姉妹は養子であると言われて育ち、実の母親を探し求めて、ようやくその存在を突き止めた。子らは学生でさらに仕事もしているが、経済的に余裕がなく、親子の対面は先送りとなった。
いっぽうリオ市で十四年振りに母親と娘二人の対面が実現した。姉妹は別れた父親に連れ去られた。姉が五歳、妹は一歳だった。尋ね人の広告を見た隣人が通報し所在が判明したもので、姉妹はゴイアス州からバスでリオ市に到着、バスターミナルで抱き合った。母親は「希望を捨てずに探してきた」と感激、姉妹は父親から母は死んだと言い聞かされてきたとし、生きたプレゼントを喜んでいた。