3月3日(木)
今年、入植五十年を迎えたパラグァイのイタプア県にあるラパス(La Paz)移住地で、同一品種の日本米が入植当初から連続して栽培されている。KOGOという品種だ。
豊葦原瑞穂の国といわれるように、古来より日本人にはコメが食生活の基本であった。ラパス移住地も例外ではなく、とくに初期の移住者は現金収入が乏しかったため、食生活の自給化にコメの栽培が不可欠であった。当時、現地で入手できたコメは赤米が混じった粘り気のないインデカ米だったため、できれば、日本人の嗜好に合うジャポニカ(日本)米を食べたい、と誰もが思ったのは当然だった。
そこで、広島県出身の馬屋原辰美さんが中心になって、一九五八年に日本からコメの種子を取り寄せ試験栽培を行った。八五年に発行されたラパス移住史第一集には、日本から届いた種子は七品種、十粒ずつであった、と記述されている。その中でKOGOが三百七十~四百二十粒をつけ、徐々に増産され、二〇〇五年の現在では、ラパスだけでなく、パラグァイ国内の日系移住地で広く栽培されている。
KOGOの日本名が、光後か光輝かを判断できる移住者は今はいないようだ。馬屋原さんは後年、イタプア農協連合会会長などを歴任し、勲六等瑞褒章を受賞している。九五年に八十八歳で天寿を全うした。馬屋原さんとコメの試験栽培に取り組んだ小倉一八さん(徳島県出身)も後年、同会会長を勤めた。七九年に七十歳でラパスの土に還った。
KOGOの平均収量は、籾換算でヘクタール当り四トン前後、水稲栽培で、栽培時期は九月~十二月、とラパス日本人会の山田博行事務局長が伝えてきている。
一月下旬に親善交流でラパス移住地を訪問したブラジル農協婦人部連合会(ADESC)の一員が、ラパス農協でKOGOを購入してきた。サンパウロで試食した複数の人々は「当地で市販されているコメとちょっと違う感じだが、美味しい」という感想だ。
同一品種が半世紀近くも続けて栽培されるのは、新品種の開発が進む日本では考えられないが、KOGOがパラグァイ国中の移住地で永続的に受け入れられていることは、それ自体が優良品種であることと、パ国の風土に適合していることの証明だ。パラグァイの同胞移住者に対する豊葦原の福音と言っても過言ではないようだ。