民政移管20周年を祝う=上院=伯流民主主義を模索=歴代5大統領、民政を回顧=試行錯誤を経た20年
3月16日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十五日】上院は十五日、民政移管二十周年式典を行った。二十年前の一九八五年三月十五日、急逝したタンクレード・ネーベス大統領に代わりジョゼ・サルネイ副大統領が大統領に就任した。レナン・カリェイロス上院議長は軍政時代、生命を賭して民主主義復活のために戦った民間人代表の一人として、アントニオ・C・ギマランエス上議(ACM)に開会の辞を述べるよう指名した。
式典のスピーチには続いて、マシエル上議やボルンハウセン上議、サルネイ上議などが名を連ねていたが、ペドロ・シモン上議の名前が漏れていたことで本人から抗議があった。ACM上議のスピーチは、出席者の意表を衝くような言葉が出ることで注目された。
民政移管が取り沙汰された当時、サルバドール空港の落成式で当時の空相デリオ・J・マットス大将からACM上議は造反派の裏切り者と呼ばれた。直ちに同上議は応酬した。ネーベス大統領候補の対抗馬として大統領選に立候補したマルフ氏を同空相が支援したことで、汚職政治家におもねる裏切り者と報復したエピソードが語られた。
サルネイ上議は、人生何が起こるか分からないと述べた。ネーベス大統領候補当選直後の早朝午前三時、レオニダス・P・ゴンサウヴェス大将に叩き起こされ、大統領に就任せよといわれて戸惑ったと当時を回想した。その時は軍政へ逆戻りすると思ったという。
労働運動や党活動は許されず、政治を偏見と規制の中に閉じ込めた軍政時代から民主政治へ移り、誤びゅうと訂正を経た。こんな状況下、ネーベス大統領の選出で、不肖民主政治は辛うじて復活したのだと、サルネイ上議は述べた。
民政移管後、大統領の間接選挙からPT政権の出現まで、二十年の歩みには様々な出来事があった。連邦令の制定、モラトリアム宣言、預金凍結令、国民が直接選挙で選んだ大統領の初めての弾劾、ハイパーインフレ鎮圧などの経験を国民は経た。歴代の大統領五人は、その証人といえる。
ルーラ大統領は「真の国家発展は圧政と相入れないことを歴史が教えてくれた」と述べ、民主主義への挑戦は、持続可能で均衡のとれた成長への挑戦でもあり、道路工事のようなものだとした。
フェルナンド・H・カルドーゾ前大統領は「近代政治は、七〇年代に始まった」と報道陣に述べた。我々の時代の最大関心事は、経済安定でも経済成長でもなく、民主主義の誕生だったとした。自由で民主的な社会を目指したゲリラ戦は、NGOや芸術運動、科学促進、司法活動、宗教活動、スト活動、直接選挙運動などの形を取ったという。
イタマル・フランコ元大統領は、直接選挙の復活を政治的成長と讃えた。フェルナンド・コロル元大統領が民主主義復活二十周年は、二〇〇九年に祝うべきだと主張した。同元大統領が国民の直接選挙で選ばれた最初の民主制大統領で、〇五年の式典は歴史を欺くものだという。