ホーム | ブラジル国内ニュース(アーカイブ) | レバノン移民125周年=ブラジル皇帝が移住呼びかけ=サンパウロ市に本国同数の400万人居住

レバノン移民125周年=ブラジル皇帝が移住呼びかけ=サンパウロ市に本国同数の400万人居住

4月1日(金)

 【エスタード・デ・サンパウロ紙三十一日】レバノン移民が三十一日、百二十五周年を迎えた。最も古いとされる移民の第一陣はブラジル独立以前の一八八〇年に到着しており、その後団結しながらブラジルで移民王国を築き上げた。
 移民らは本国の援助もままならぬ中で、シリオ・リバネース病院、ノーヴェ・デ・ジューリョ病院、サンタ・ジョアナ病院などの一流病院を設立、モンテ・リバノ・クラブを開放して社会に貢献している。
 レバノンは地中海に面した面積一万四百五十二キロの国土にわずか四百万人が住む零細小国で、長年国際紛争や宗派間による内紛に苦しんできた。そのため戦火を避けるため、または経済的理由で外国への移民が増加した。現在では移民の子孫も含め全世界に千五百万人が点在していると言われ、そのうち半数以上の八百万人がブラジルに移住している。なかでもサンパウロ市には本国と同数の四百万人が居住している。次いで主な移住先としてはオーストラリアが四百万人から五百万人、アメリカが百五十万人となっている。
 そもそも移民が始まったのは、一八七六年に時のドン・ペドロⅡ皇帝がレバノンを訪問し移住を呼びかけたことで、貧困にあえいでいた人らが呼応して大量の移民となった。所持金もなく当時最盛を極めたゴムやカカオの農場で働いた後、サンパウロ州に集結しコーヒー園で働いた。
 常に個人経営を夢みていた移民らは、小金を貯めるとサンパウロ市ブラス区やイピランガ区に商店を開いた。これらはサンパウロ市の一大商店街として今もにぎわっている。
 いっぽうで一九二一年には、移民の社会支援を目的とした婦人慈善団体が結成された。これが六五年のシリオ・リバネース病院設立の母体となった。二〇年代に入り、知識層や学識層の移民が増えたことで、ブラジル社会への進出が進み地位も向上していった。
 レバノンとブラジルの主な出来事を列記すると、▼三〇年、ベイルートにブラジル領事館開設▼四三年、レバノン独立▼四六年、リオ市にレバノン領事館開設▼五四年、チャモン大統領がブラジル公式訪問、大使館開設とサンパウロ市レプブリカ・ド・リバノ通りの命名式に参列▼五五年、ノーヴェ・デ・ジューリョ病院開業▼八二年―九〇年、レバノン内紛▼九五年、ハリリ首相来伯(〇五年二月に暗殺)▼九七年、ランプレイア外相がブラジル政府関係者として初のレバノン訪問▼九七年、ラオウイ大統領がブラジル公式訪問▼〇三年、ルーラ大統領ベイルート訪問▼〇四年、ラフド大統領が来伯。