4月20日(水)
大地の上を、収穫機という巨大なバリカンが走り回っている――。
小ぶりの二階建ての家を思わせるほど巨大な収穫機が、九十センチ間隔の列で密集して植えられたトウモロコシ畑を、人が小走りするぐらいの速度で進む。
八畝分を一気に収穫する機械の前方は、人が隠れるような高さに生い茂っているが、その後ろは、見事に刈り取られて丸坊主になる。吐き出された膨大な量の葉や茎が残されているだけ。
収穫機の横からパイプが出ており、時折、バラバラになったトウモロコシの実だけが、ポンプから吐き出される濁流のようにドーッと落ちてくる。それを別のタンク車が受けとり、いっぱいになると、道路脇に止まっている大型トラックに移す。その間、収穫機は動き通しだ。
まさに工場の中のような効率性をもって、わずか数人の人手だけで広大な畑の収穫作業が淡々と進む。
農場主の大久保満さんによれば、二年前までは八百人もの農務作業者を雇っていた。「今は十一人の従業員しかいません。できるだけマキナ(機械)でやります。だって、五年間この町の人間使ったけど、その五年ともジュスチッサ(裁判所)が入った」との経験からだ。特に現政権になってから注意しているという。
その後、セアラの人を入れたが結局辞めて、機械になった。
すぐ隣にはファゼンダ・サンタクルースという弟が経営する農場もある。八四年に購入し、最初はそこで兄弟の共同経営でトマトをやっていた。
三角ミナスといえば「肥沃な」と枕詞のように語られるが、この辺はむしろ「セラード」で酸性の土地だという。毎年、大量の石灰を土壌にまぜ、アルカリ性に変えてトマトをやっていた。この地に来る以前はサンパウロ州カンピーナス市近くのサウトでトマト作りをしていた。「もっと大きくやりたい」と思ってこちらへ移ったが、現在はトマトはやっていない。
このミナス州アラグアリ市には約四十家族の日系人がおり、会館もある。
「僕はゲートボールきちがいなんです」と大久保さん。忙しい農作業の合間をぬって、会館にあるゲートボール場で毎週三回、欠かさず練習している。「うちの農場にもカンポを作って、従業員にも教えたよ」。
全伯大会にも常連参加しているが、「まだ賞はもらってない。難しいよ」とのこと。
大久保さんの子どもは娘が二人で、今のところ後継者はいない。「このままだと、僕の代で農業のトラディッソン(伝統)はなくなってしまうね」と表情を曇らせる。
それを聞いた参加者のご婦人は「カフェより人を作れ、とは言うけど・・・」とボソッと言った。
◎ ◎
ふるさと巡り第一日目、四月一日。大久保さんの農場を見た後、ウベルランジア市営の紡績織物センター(Centro de Fiacao e Tecelagem)を見学。十六年前に出来た施設で、地元主婦に仕事を作ると同時に、数少ない観光スポットを増やすために作られた。
職員は、ポルトガル直伝の古めかしい道具を使って、手作業で綿を紡いでひも状にするデモンストレーションや、機織りの実演をする。ご婦人たちは手作りの機織り品販売所で、掘り出し物を物色し、次々にレジへ持って行った。どうやら、旺盛なのは食欲だけではないようだ。
(つづく、深沢正雪記者)
■たくさんの出会いに恵まれる幸せ―ふるさと巡り、各地で先亡者慰霊―=連載(1)=ボイアフリアのように=三角ミナスアラグアリ=農場“専用車”を体験