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後手に回ったブラジル資本主義=過保護で競争力失う=義務忘れ、権利のみ主張=関心低いイノベーション

4月27日(水)

 【エザーメ誌八三九号】社会学者のフランシス・フクヤマ氏は九二年、著書「歴史の終焉」を著し話題を呼んだ。資本主義は二十世紀、数々の社会問題を引き起こしたという。ベルリンの壁が八九年に崩壊したことを憂慮した著者は、元共産圏の評論家から批判の集中攻撃を受けた。論ずるには伝統がまだ浅いが、ブラジルの資本主義は今後どうなるのか。
 ブラジルの十九世紀における資本主義の主役は、マウア男爵。続いてイタリア移民のマタラーゾ氏が二十世紀初頭のブラジル資本主義の走りであった。ヴァルガス政権の誕生後、政府と関係なく独自の力で大きく成功した資本主義の代表選手は、ほとんどいない。
 工業国産化時代に入ってからは、政府の過保護下で生産する企業や補助金で経営する公社が主流となった。市場開放時代に入ると、ブラジルのほとんどの企業は過保護の中毒症状を呈した。国際競争時代の九〇年代、ブラジルの企業家は国内産業の生産性と能率の低さにあ然とした。
 伯米間の資本主義に関する観念は随分ずれていた。米国では、成功は努力の結果とされ、企業は国家形成の基礎であることが常識であった。米国では成功者は英雄。失敗したら貝となる。
 ブラジルの歴史では、企業に王道はない。バンデイランテスの時代は、騙しと脅しの哲学が経営学の基本だった。開拓時代から派閥制度や里親制度が系列や相互扶助関係を築き、企業同士の絆を保ち、現在に至っている。
 ブラジルの法律は、帝政時代以降数え切れないほど多くの権利を積み上げ、義務についてはあいまいだ。日本のような敗戦の経験がないブラジルは、旧憲法廃止という経験もない。現在でもほとんど知られていない旧憲法が生きているので、法体系の複雑なことおびただしい。
 労働法や社会保障法は、過去に政府が安易に与えた権利の見本といえる。理不尽な理屈が大手を振り、一度つかんだ権利は放さない。ここでは義務など忘れられ、権利主張だけが一人歩きをしている。
 これからのグローバル時代、従来の雇用関係は減少し、プロ契約方式の成果主義になる。ブラジルの現行労働法ではまだ許されていない。テレフォニカ社が本国の雇用方式を持ち込んだが、座礁した。先進国では一世紀前に定着しブラジルでも同化している雇用方式だが、労働裁判所へ持ち込まれると拒絶される。
 この時代的要求が通用しない間は、ブラジルの発展は空回りを続ける。通用しないことは他にもある。利益とイノベーションの観念だ。資本主義社会は競争社会だから、企業は存続のために最低限の利益を上げる経営を余儀なくされる。しかし官僚は、そうは考えない。
 消費者は常に新しいものを求める。資本主義社会では新製品を考案しても、すぐに模造品が現れる。高い開発費を掛けて造った新製品が、まだ利益を上げないうちに安くて性能の優る模造品に負ける。イノベーションにはリスクがある。
 ブラジルの資本主義は二十世紀、ほとんど眠りこけていた。過保護経済の中でイノベーションは死語だった。イノベーションの代表選手、コンピューターは八〇年代に輸入禁止だった。これがブラジルのイノベーションを遅らせた。
 ブラジルの新案特許は少ない。ほぼ同レベルにあった韓国が二〇〇三年に三千件の特許を申請したのに、ブラジルは二百件に過ぎない。イノベーションへの関心の低さが伺える。
 資本主義精神の根底となったプロテスタンティズムがブラジルで出遅れたのも、資本主義のスタートに不利だった。プロテスタンティズムが3K労働を最も崇高なる奉仕とみなす考え方は、ブラジルでは蔑まれた。カトリシズムでは金利は不労所得、利益のむさぼりは否とされ、そうした思想が政府高官らにまとわりついていた。