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日伯学園=来年開校へ=スザノの「戦略」=連載(上)=2、3世が先頭にたって

2005年5月10日(火)

 二世や三世による四世や五世の為の日伯学園構想として以前から注目されていたスザノ日伯学園が、五年の準備期間を経て、ついに来年から開校することに決まった。母体となる汎スザノ文化体育農事協会(アセアス日系)の登記書類の問題から発足が遅れていたが、今年一月に正式な手続きが終了したこと受けて決定されたもの。「日本文化を学べる場所、そして日本との交流の拠点にしたい」と上野ジョルジ会長は熱く語った。地域独自の百周年記念事業としては、全伯で初めて本格的に始動するものであり、将来への戦略を持った日系団体のあり方として、スザノ市民のみならず広く関心を呼びそうだ。
 予定では、十二月にイナグラソン(竣工式)と生徒募集を行い、来年から小学一~二年生部を開始する。各学年六十人(二クラス)で、順次二学年ずつ増設し、〇九年には八年生、いずれは高校部まで完成させる構想だ。
 基本的に全日制で、午前中は小・中学校の正規課程を教え、午後には週二回は日本語を義務付け、それに加えて選択科目として情報処理(コンピュータ)や英語、音楽、そろばん、書道、剣道や陸上・野球など各種スポーツを実費で教える。
 東ルイス前会長は「子どもの塾通いの送り迎えが、親にとって大きな負担になっている。ここに朝連れてくれば、夕方まで全部できます。もちろん送迎バスも考えています」という。
 現在、建築中の校舎には八教室しかないため、すでにあるアセアス敷地(約九万平米)に、徐々に増設する計画だ。敷地内には夜間設備付きのテニスコート六面、野球場、陸上競技場、子供用遊技場、プール、釣り堀、体育館、飲食施設なども完備されており、それをそのまま学校の授業でも活用する。
 二〇〇〇年からヤキソバ祭りやビンゴ大会で準備資金を集め、少しずつ体育館横の敷地に建築し、あとは内装関連工事を残すだけとなった。「今までに三十万レアルは投資した」と東元会長。地元の篤志家六人がすでに協力し、中には単独で七万レアルを寄付した人もいる。JICAサンパウロ支所から昨年、椅子百二十脚とパソコン二台も寄付してもらった。
 計画では新校舎建築などに、少なくともあと二十万レアルはかかる。上野会長は「個人篤志家や日系企業に多少寄付していただきたい」と希望している。
 「生徒にはアセアスの会員になってもらいます。ここでスポーツなどを通して親睦を深めれば、卒業生の何割かはそのまま会員として続けてくれるでしょう。そうすれば年々、会員は確実に増加し、日本文化も普及されます。これがスザノの戦略です」と、徳澄マリオ正義副会長は強調した。
 長い歴史を誇る団体だが、正式な登録ができたのは今年一月だった。ようやく書類面が整ったことで、日伯学園にも弾みがついた。
 学校の運営に専門家は欠かせない。さっそく教育委員会、建築委員会、資金調達委員会が組織された。特に教育委員会十二人の中には、州教育局幹部、公立学校校長経験者なども加わっている。
 「我々は、デカセギ問題にも地方独自の解決法を見出したいと思っています」と徳澄副会長はいう。デカセギ帰国子弟には日本語しかできず、ブラジルの学校に適応できないケースがある。「日伯学園では、適応のための特別なプログラムを組むつもりです。CIATEやセブラエと協力しながら、親に対しても新規事業の起業相談する機会も提供したい」。
 「一世ではなく、二~三世が先頭に立ってこのプロジェクトを推進しているのが、スザノの特徴です。これが我々の百周年です」。
 武吉七郎元会長は七日午後、会館に集まって熱心に討議する二世役員の姿を見ながら、目を細めた。「まるで一世が考えそうなことを、二世の人たちがやってくれてるでしょ」。
(つづく、深沢正雪記者)