5月21日(土)
野村丈吾元連邦下議の訃報を受け、ジェラウド・アウキミン州知事は十九日午後十時半、州議会の貴賓室に弔問に駆け付けた。故人の子息である野村アウレーリオ市議が出迎えた。
知事は「野村氏は日系コロニアの代表する最初の政治家であり、パイオニアだった」と同氏の死を悼んだ。また、遅れてやってきたジョゼ・セーラサンパウロ市長は、「野村氏は大変重要な人物だった。三人の息子たちは誇りに思っているだろう」とコメントした。
野村市議は「父は必ず約束を守り、初期移民に対し尊敬を忘れない人だった。ある時は友人であり、政治の先生でもあった。父が関心を抱いていた日本移民百周年事業に今、責任を感じています」。
「惜しい人を亡くしました。本当にショックです」と語るのは上原幸啓文協会長。会長職に就くよう強く説得したのも野村氏だった。古い知り合いで、個人的にも色々と相談に乗ってもらっていたという。「コロニアを常に思い、心配していた人。ブラジル社会からも尊敬された立派な人だった」と惜しんだ。
野村丈吾氏は、一九二〇年サンパウロ市レジストロ市で生まれた。四五年、サンパウロ大学歯科を卒業後、五一年から四年間、マリリア市議を務め、政治家としての道を歩き始めた。
一時、政界を離れ、六三年にサンパウロ市州議会議員(PL=自由党)に当選。七四年には連邦下院議員に選出され、九四年まで五期を務めた。ブラジル日系社会を代表する政治家として知られ、日系議員では最長の議員歴を誇った。ブラジルにおける日本文化の紹介にも尽力した。
出稼ぎ問題に関連して、外国への就職斡旋を禁じた刑法(二〇六条)の改正案を提案し、立法化を実現するなどの手腕は議会でも尊敬を集めており、マリリアを中心とした十二の地域の協力により、十一の大学を誘致するなど、教育にも力を入れた政治家だった。
州議会の外交委員長も務め、各国を歴訪。ブラジルの国際化にも貢献した。リオブランコ、ナヴァル、アエロナウチコ、サントス・ドゥモン、イピランガの各勲章を受章している。