先日、取材で自然分娩に関するビデオを見せてもらった。その自然分娩は、妊婦が分娩台に横たわって医者に任せるのではなく、産む直前まで歩いたり、シャワーを浴びたりし、自然な体勢で赤ちゃんが出てくるのを待つ、超・自然分娩だ。
それから、高校生の現代文で読んだ一つの詩を思い出していた。吉野弘の『I was born』という散文詩の中で、身重の女性を見た少年は「生まれる」ということが受身であることを了解する。「人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね──」
受身は受身でも、子は母に「生まれる」のであって、まさか医者に「生まれる」のではない。当たり前のことを納得したのだが、実体験として「産む」ときは能動者でいたい、と思ったのだった。(郁)
05/5/25