ホーム | 日系社会ニュース | 日本移民街道訪ねませんか=サンパウロ市の観光エスポで紹介へ=レジストロなど7郡

日本移民街道訪ねませんか=サンパウロ市の観光エスポで紹介へ=レジストロなど7郡

5月31日(火)

 日本移民の文化ルートを作ろう――。州観光局主催の国内観光ルートを紹介するEXPOが来月一日から五日間、サンパウロ市のEXPO・CETER・NORTEで開かれる。初日十一時からのオープニングには、ルーラ大統領も出席する。ブラジル国内の百十一の地域から、観光客誘致を図る観光ルートの紹介が行われるが、そのうちの一つが、「日本移民観光ルート」。旧ジュキア・サントス線やレジストロ、イグアッペなど、七市の日本移民ゆかりの場所を紹介する。コーディネーターを務めるレジストロ市の近田マノエル経済振興局長に聞いた。
 「リオとかイグアスーだけでなく、小さな街にも観光客を誘致しようというのが狙い」と、レジストロ市議を四期務めた近田コーディネーターは説明する。今回、全伯から百十一地域がEXPOに参加、観光客の誘致を図る。もちろん地元への経済効果も期待する。
 日本移民観光ルートはイグアッペ、レジストロ、セッテ・バーラス、ジュキア、ミラカツー、ペドロ・デ・トレード、イタリリの七市。
 レジストロ日伯文化協会の山村敏明前会長は、「笠戸丸移民はコーヒー農園などに配耕されたが、イグアッペの桂移民やレジストロは最初から開拓移民。そういう意味では最初」と同地の歴史を強調する。
 イタリリ、ジュキア、ミラカツー、セッテ・バーラスなどはサントスから、移民を運んだジュキア線の駅がまだ現存しており、観光の目玉となるようだ。
 現在、日系百数十家族が住むミラカツーでは、かつての市長ジョアキン・フェレイラ氏の銅像が「日本移民観光ルート」に取りこまれている。戦時中、海岸地帯から日本移民が内陸部に強制的に転住させられた際、親日家だったフェレイラ市長が州政府に掛け合い、「自分が全責任を持つ」と説得、同地の日本人を守り抜いた。同市長の行いは、現地日系人の間で語り継がれている。
 イグアッペでは、駅から川の港への道で日本移民の足跡を見る。サンパウロから着いたばかりの移民たちが、桂植民地へ向かうため歩いた道だ。「こういうルートを作れば、地元でも道を舗装したりという動きにつながるのでは」(近田コーディネーター)と地元活性化にも期待をかける。
 レジストロではKKKK(海外興業株式会社)や資料館がメイン。セッテ・バーラスも開拓当時の組合の建物などが残っているという。
 「(外部の人に)来て欲しいということもあるが、観光ルートを作ることにより、地元で現地の歴史について関心を持たせる意図もある」と解説する。
 州観光局のマルコス・カステロ・ブランコ局長は、「サンパウロに来る観光客は海には行かず、内陸部を訪れる傾向がある。今回の観光ルート計画により、地元の活性化にも繋げていきたい」と話している。