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新聞離れ現象をどう解く?=購読者との心の交流忘れるな

6月1日(水)

 【エスタード・デ・サンパウロ紙九日】新聞の購読者減少は世界的傾向とメジア・コンサルタントのフランコ教授が次のような論説を述べた。減少を食い止めるゼミが世界各国で開かれ自分も出席したが、テレビやインターネットが原因だとは一口にいいきれないとゼミでは結論づけられた。
 若者らの活字離れもあるが、それが原因ともいえない。エリート階級でも新聞離れ現象はあり、印刷文化への回帰は不可能なのかと問われている。新聞情報の質と現実の間に問題があるのではないか。
 新聞はマスコミの伝達手段と誤解され、ここから新聞の致命的欠陥が始まる。新聞によるテレビの真似は無意味だし、ブロッグ世代やビデオゲーム世代との会話は不可能と思われる。新聞を通して行われた購読者との対話は、心の交流であったことを忘れてはいないか。
 新聞は年齢に関係なく多くのファンを抱えていたが、情報の質が原点から離れた。木を見て森を見なくなったのだ。テレビやインターネットで得られない上質の情報、深読みに偏らないプロの視覚、心の琴線に触れる文章、決断の助けになる情報の分析を読者は求めている。
 尾ひれが付かない情報が減り、Eメールや電話で取材した策略的意図のある情報が最近増えたとニューヨークタイムズ編集主幹が嘆いた。直接対面した雰囲気の伝わる情報が少ないという。ヴェージャ誌が政治記事の多くは、噂と面白半分の情報だと告白した。
 政治家は新聞用の談話を用意し発表する。それを翌日の記事として掲載する。文字が並んでいるだけで、内容がない。眼の肥えた読者は、そんな子供芸はすぐに見破る。読者は空虚な記事にウンザリしている。