2005年6月2日(木)
ブラジル大統領としては九年ぶりの日本訪問の成果は何だったのか――。日本国内ではほとんど注目を浴びなかったが、訪日期間の五月二十六日から二十八日をはさんで、わずか五日間に国営ブラジル通信は約五十本もの記事を配信し、全伯の新聞に転載された。その他、BBC(英国放送協会)ブラジル支社も連日日本から配信するなど、ブラジル側からは熱のこもった取材合戦が行われた。日本移民百周年を三年後に控え、経済再活性化を中心とする国レベルの重要課題の一端に、デカセギ問題が据えられたことは今回の大きな特徴であり、日伯交流史に新しいページを刻んだといえそうだ。伯字紙記事を中心に今回の旅路を追ってみた。
ブラジル大統領としては七人目の公式訪問、フェルナンド・エンリッキ・カルドーゾ大統領の一九九六年以来で、実に九年ぶりの訪日となった。ルーラ大統領個人としては、労組代表として約三十年前に一回訪日しているというので二回目となる。
実は訪日直前まで、ブラジリアの日本大使館は調整に苦しんでいた。ブラジル政府からは十一人もの大臣のビザ請求があったからだ。多くの閣僚が同行するのは、ブラジル政府の力の入れ具合を示しており歓迎すべきことだが、それに対応する日本側大臣との会談などが予想され、直前になってからそのスケジュールを入れるのは至難の業だからだ。
結局、大統領専用機で韓国へ向かったのは五人。メイレーレス中銀総裁とマーレス・ギア観光大臣は別便で直接日本へ向かった。
一週間に及んだ日韓公式訪問の旅から二十九日(日)朝にブラジリアに戻った大統領の、公式な初声明は三十日朝の国営ラジオ「大統領とカフェを」で放送された。
「私は今回、外交政策を一巡させることができたと確信する。この循環はいずれ、特別な成果がもたらすだろう」。日本と五十六億ドル、韓国と三十二億ドルの貿易があることを挙げ、「ブラジルの潜在能力からすれば、両国とは遥かに大きな交易、生産的な関係が築けるはずだ」と未来志向の前向きな総括をした。
ただし、「六十一億ドルの商談がこの間にまとまられたが、実際に投資されるにはまだまだ時間がかかりそうだ」と伯字紙は半分賞賛しつつも、郵便局疑惑に沸く連邦議会筋は冷ややかだ。
三十日付けアジャンシア・エスタード(以下、エスタード通信)によれば、今回の締結項目のうち二十五億ドルは韓国からのものだ。韓国の国営開発銀行がブラジルに投資事務所を開設する件、ブラジル銀行が韓国に事務所を開く件も報道された。
訪日前に日本のデカセギ向けポ語新聞に掲載された挨拶文で、大統領はノルデステから内国移民をした自らの幼少期と比較しながら〃移住〃に共感を示し、「二〇〇八年の祭典では、二つの人流を思い起こそうではないか。一つ目は日本からブラジルへ、二つ目はブラジルから日本へだ」とし、日本移民とデカセギを対等に位置付けた。
在外国民へのサービス向上のために、「東京、名古屋の総領事館に続いて、日本三番目の施設を鋭意検討中だ」と述べた。「新しい場所に適応した家庭を築くと同時に、ブラジルとの強い絆を継承できるよう、政府は条件を整えている」。
また、具志堅ルイス広報長官は日本のポ語新聞向け挨拶の中で「〇八年の日本移民百周年は、両国の相互関係の重要性を再確認する新しい機会だ」と位置付け、「最も重要なことは、ブラジル人と日本人は百年の永きに渡って、お互いに豊かにし合えるような、二つの異なるアイデンティティを持つ文化の可能性を模索し続けてきたことだ」と著し、日伯関係の重要性を訴えた。
日伯修好条約締結百十周年の今年、昨年の小泉首相来伯と共に、日伯交流史の新しい一ページが刻まれた。
(つづく、深沢正雪記者)