6月3日(金)
「ブラジルを知る会」(清水裕美会長)は、五月三十一日午前十時から、国際交流基金多目的ホールで「海を越える人々」と題したパネルディスカッションを行った。テーマは生活者の視点から見たデカセギ事情。約七十人の参加者が集まる中、宮尾進さん(サンパウロ人文科学研究所元所長)をはじめとする五人がパネラーとしてそれぞれ講演した。知る会は、今まではサンバや料理などの文化を中心としたいわゆる「楽しい」講演会を主催してきた。しかし、設立九年目を迎えて「二〇〇八年に向け、ただ日系社会を傍観するだけでなく、自分たちからも何か発信したい」という思いから、今回、初めてこのような講演が企画された。
真砂ムツ子さんが司会をつとめる中、デカセギが始まってから現在に至るまでの経緯を宮尾元所長が説明した。
加藤メイレ・キミエさんは十六歳の時、父と姉と共にデカセギに行った。三年後には母と妹も渡日。いろんな県で働いた。「初めは日本語がわからないし、友達もいなかったから大変だった」と振り返り、「みんな日本人は冷たいと言うけど優しい人だとわかった。今は長いこと日本にいるし、日本の方がなぜか安心できる場所」と考えの変化を話した。
しかし、自身の心はブラジル人だと言う。「日本人にならなくても楽しく日本で暮らせる」。加藤さんには子どももいるが、日本の学校に通わせ、大学を卒業させることが夢だそう。
また、JETプログラムで、一九九八年から二〇〇一年まで埼玉で国際交流員の仕事をしていた金子良子サンドラさんは、学校訪問を通じて感じた在日ブラジル国籍子女に関する教育や進路、家族の問題についてスピーチした。
進学の問題では、親が教育に無関心で子どもが学校に適応できず、進学をあきらめるケースが多い。中には中学校でいい成績を取り、高校へは進学できたが「大学へは進学できる能力はない」と自身で認識している子もいるそう。
問題に対して熱心な学校には、国際教室が設置されていて週に数回ボランティアの訪問もある。特別に日本語の授業もあるが、日系ブラジル人ということを隠したがる子は、授業に参加したがらない、などの問題もある。金子さんは「親が日本語を話せないので『お母さんは学校に来て欲しくない』と言った子がいることには悲しかったです」と話した。そして、これからJETプログラムのような制度がもっと必要になってくるだろうとの考えを述べた。
ニッケイ新聞社の深沢正雪編集長は群馬県大泉市での自身のデカセギ経験を話題に「今後は『なぜ私たちと日系ブラジル人は違うのか』を考えることが異文化理解につながり、デカセギ者が貴重な存在になってくるだろう」と話した。
また、映像作家・石井エリオさんが制作中のビデオ作品の一部が初公開された。内容はデカセギに行った四人のドキュメンタリー。映画の中で登場する日系ブラジル人女性は、「見た目は日本人だが、考えなどはブラジル人で、学校に馴染めなかった。日本人として見られないといけないと思っていた」。しかし、祖父母から聞いた移民の歴史を知り、「もっと友達に自分のことを知ってもらおう」と思ったという。
現在、ブラジルから日本への輸出総額は約二十七億六千八百ドル。デカセギによる日本からブラジルへの送金額は約二十二億ドルと、デカセギの貢献度は大きい。宮尾元所長は「デカセギは単なる労働力ではない。政府がもっと問題に対して力を入れるべき」と考えを述べた。
知る会は移民百周年に向けて、半期に一度、同様の企画を実施していく予定。清水会長は「今日をきっかけに参加者が問題を身近に感じてくれると嬉しい。今回で見えた、たくさんの問題を次回はもっといろんな人が発言して討論できたら」と意気込みを見せた。