6月9日(木)
ルーラ大統領の日本および韓国への訪問は、アジアに関するブラジルの外交政策の重要な一サイクルを飾るものである。(当初、日本を最初に訪問する予定であったが、皇室の日程との調整の結果、韓国からスタートするよう変更された)。新しい外交ルートの拡大プロセスにおける、グローバル時代の国家イメージを確立させるために、二〇〇四年には、インドおよび中国、そして今般、二〇〇五年には、日本および韓国への大統領訪問が実現した。これは、南米大陸南端諸国に始まり、米州諸国、欧州、アフリカ、そうして今回のアジアへの訪問によって完結した、環状外交の漸進的推進を論理的に促進するための足がかりとなるものである。言わば、テージョ川の三角江から大西洋に出て、タプロバナ(現スリランカ)の彼方へと乗り出していった、十六世紀のポルトガル大航海時代の現代版である。
二百人以上のビジネスマンが経済ミッションとして大統領に随行し、二十億ドルを超える契約およびプロジェクトが交渉された。政治面においては、韓国では八通、日本では十一通の声明書が発表されたが、これには重要アイテムとして、国連安保理事会常任理事国に関する改革、世界貿易機関WTOのドーハ・ラウンドの終了、および環境保護に関する京都議定書の推進における、両国間の合意が含まれる。
日本の場合、ルーラ大統領の訪問は、二国間における人的絆の重要性を象徴し、日本に居住する、二十七万を超えるブラジル人の日本経済への寄与を発揚した。その意味において、大統領の名古屋市への訪問は、ブラジル人の存在とその重要性を意味するものであった。
同様に象徴的であったのは、今回の訪問の際に、ブラジルへの日本移民および日本へのブラジル人就労者を描いた、チズカ・ヤマザキ監督の「ガイジン2」の試写会が行われたことであった。
韓国大統領および日本国小泉総理の訪伯実現後、一年未満の短い期間に、ルーラ大統領が答礼の形で行った、これら二国への訪問は、西洋圏最西端の重要国として、極東におけるブラジルの存在を再認識させるための、確固とした前向きな姿勢を意味するものとして有意義であった。