6月22日(水)
「山口さんと私の二人三脚で刊行を成し遂げたように思う。しかし、本日この席にいるはずの彼がいないのは悲しい」。十九日午前十一時からアチバイア日伯文化体育協会(辻修平会長)で開催された『アチバイア文協五十年史』刊行記念パーティの場で執筆・編纂を担当した水野昌之さんは溢れる涙を拭った。自ら同史編纂委員長を務めた山口節男元同協会会長が中心となって創立五十周年の、二〇〇二年から約三年かけて編集作業が進められた。
史料を収集するために開いた座談会は三十回以上、その間、取材した人は二百人にも上る。「もうこれで、仕上げ作業に入ろう」。最後の座談会を開いたその翌日、不慮の事故により山口委員長は帰らぬ人となった。七十四歳だった。「主人が亡くなった四月九日は私がサントスに着いて四十五年目の日でした」と話すのは妻の紀美子さん。遺影を手にパーティに参加した。
始めに辻会長が挨拶をし、「山口さん、あなたが一生懸命、情熱を注いでくれた記念史は立派に出来上がりました。こうして霊前に供えることができてよかった」と話した。続いて、ジョゼ・ロベルト・トリッコリ・アチバイア市長、リカルド・ドス・サントス・アントニオ副市長、小野敬雄市議会議長らが挨拶。
黒木政助副委員長は「当文協会員であり、初代評議員会長など、文協と関わりの深い水野氏に執筆を努めて頂き心より感謝しています」と述べた。
また、辻会長から、水野さん、山口委員長に代わって紀美子さんに、また出版経費を全額寄付したオスピタル・ノーボ・アチバイアの和田周八郎院長に感謝状が贈られた。さらに第一回目からの会員である纐纈久雄さん、村垣良行さんに同史が贈呈された。
「苦労の連続だった」と話す水野さん。三年前、ガルボン・ブエノで偶然山口委員長に出会い、過去に『バストス二十五周年史』を執筆した経験があることから編纂を依頼された。「始めは編纂だけだと思っていたが、執筆まで依頼してきた。当然断った」。文協三十周年記念史『清流のほとりに』を執筆した増田秀一さんの後を受け継いで筆を執る勇気がなかったからだという。また、当時八十歳という高齢が、筆を鈍らせた。
しかし、山口委員長の熱意に押され、一年後にようやく引き受けることを決めた。「山口さんは素晴らしい人。アチバイアの代表産物である花に関しては右に出るものはいない。座談会では山口さんが声をかければ全員集まってくれるのには驚いた」と振り返る。
また、座談会がある度、サンパウロ市からアチバイアまで車で通った。バス代も食事代も全て自費。無償で編纂・執筆をした。「ボランティアじゃなきゃとても書けませんよ」と謙遜する。二十年前までアチバイアに在住していたがその後サンパウロ市に移住した。「二十年間のアチバイアに関する知識を埋めるのに苦労したが、山口さんがフォローしてくれた」と感謝の意を表した。参加者も口々に「山口・水野コンビがあったからこそ刊行できた」と二人を称えた。
さらに、初めての試みとして須永忠雄、アウローラ夫妻の翻訳により、日本、ポルトガル両語版で編纂したことも今回の特徴。「だんだん日本語がわかる人が減ってきているので、ポルトガル語を入れることで歴史に残したい」と水野さんは希望を語った。