6月22日(水)
三年後に控えた日本移民百周年へ幸先良いスタート―。二十日午後八時から、サント・アマーロ区のイベント会場VILA・NOAHで「ボサノバ、七夕、カイピリニャと酒」と題した晩餐会が盛大に催され、約六百人の来場者が訪れた。従来のコロニアの行事とは一線を画した今回の企画は、百周年祭典協会の主催。ブルートゥリーホテルの青木智栄子社長が全面的に協力した。ジェラウド・アウキミンサンパウロ州知事が百周年祭の州の名誉総裁に就任、州政府の協力も正式に確認するなど百周年に向け、大きな一歩を飾った。
ブラジル外務省アジア太平洋局の藤田エジムンド局長、零細・小企業支援サービス機関(SEBRAE)の岡本パウロ会長、山崎千津薫映画監督などブラジルを代表する各界の日系人が顔を揃えたほか、全伯の日系団体の代表者約三十人も出席、全伯レベルでの百周年記念イベント第一弾として大成功を飾った。
数多く立てられたろうそくの柔らかな照明で幽玄な雰囲気に包まれた会場の一角は、日本庭園風に飾り付けられ、全体に竹があしらわれた。
百周年に向けての希望を短冊に書くため思案する和装の来場者も見られ、今回の趣向となった一足早い七夕もなかなかの好評ぶり。
これからの日系社会の飛躍を象徴するかのように、二千の折鶴が頭上を舞う晩餐会場で司会に立った青木社長は、「百周年に向け、年に二度予定されているイベントの幕開け」と宣言。
舞台の両翼に張られたスクリーンには、日伯両国旗や百周年のロゴマークが映し出された。
歌手のマリーナ・エラニさんによる両国歌斉唱の後、壇上に立った百周年祭典協会の上原理事長は、「多くの先駆者に敬意を表し、日本移民を受け入れてくれたブラジルに対する感謝をさらに深める機会」と今回のイベントを位置付け、企業や団体の協力があったことを確認。
「〇八年六月十八日へのカウントダウンは始まっています。それまでの活躍を、オジイチャン、オバアチャンが天国で見守ってくれている」と力強くあいさつした。
堀村隆彦ブラジル日本国大使は、日伯両国の一世紀の関係を振り返り、「百周年以降の百年に思いをいたし、文化の融合とさらなる発展を願う」と話した。
アウキミン州知事は、「日本移民がいなかったら、今のサンパウロの発展はない。この百年は美しい友情の年月」と両国間の関係を強調、「百周年ロゴマークのように、丸く調和の取れた関係―、二十二日のコンフェデ杯での日伯両チームの試合は別ですが」とスピーチ。会場が笑いに包まれるなか、「ドウモアリガトウゴザイマシタ」と日本語で締めくくった。
その場で、州の百周年祭典名誉総裁就任式が行われた。上原理事長から、委嘱状が手渡され、州政府の協力が誓われた。
続いて、ブラジル銀行、ヴァリグ、ブラデスコ、ABNなど大口スポンサーの紹介と表彰が行われ、各企業団体者は百周年への協力姿勢を示した。なお、今回のイベントには、五十以上の企業が協賛している。
来賓たちにより、壇上で鏡割が行われ、寿司や和牛など、和をテーマにした献立に出席者が舌鼓を打つなか、マリーナ・エラニ、リカ・セッカートさんらブラジル歌手によるボサノバなどの演奏が行われた。
同イベントの目玉企画でもある渡辺真知子さんの歌謡ショーに会場は大きな盛り上がりを見せた。アンコールでは、〃スキヤキ・ソング〃として有名な「上を向いて歩こう」を歌い上げ、一九三三年に移住した内木フミさん(90)とのデュエットには、会場から拍手が沸き起こった。
深夜になっても続いた晩餐会、ホーザス・デ・オウロのサンバ隊がさらに会場を盛り上げるなか、日系コロニア初ともいえる絢爛豪華な晩餐会は大団円を迎えた。
今回のイベントを成功させるため、数カ月間奔走した小原彰イベント・コーディネーターが壇上で胴上げされる場面も。小原氏は取材記者に「ほっと一息です」と憔悴した表情ながらも、お酒を片手に笑顔を見せていた。