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鍋浴び全身火傷から3年=岡会長、自ら復活呼びかけ=フェイジョアーダ会=岡山県人会で「解禁」

6月30日(木)

 三年ぶりに美味しく頂きました――。二〇〇二年に岡山県人会館でフェイジョアーダの大鍋をひっくり返して全身大やけどの瀕死の重症を負った岡詢会長(66)。
 以来、県人会内では「フェイジョアーダのフェの字も禁句」(ある会員)の状態が続いていたが、このたび岡会長自身の願いで三年ぶりにフェイジョアーダ会が復活し、二十六日午後二時過ぎには用意した三百食が売り切れ、今度は嬉しい悲鳴をあげた。
 まず会長個人が痛烈な精神的トラウマを乗り越え、役員らを説得した。「県人会に活気を取り戻すために、今回から〃桃太郎フェイジョアーダ〃という威勢のいい名前に変えました」。復活の逞しいドラマが今、始まった。
 〇二年六月八日、土曜午後六時半ごろ、翌日に控えたフェイジョアーダ会の準備のために婦人部が大鍋二つ分を仕込み、二階に上がっていた。一階の台所には岡会長一人。奥の蛍光灯の安定器が壊れ、電気が点かなくなっていたので、修理しようと四脚に乗った。
 安定器を交換するには、コードを切断する必要があるが、いつもあるペンチがその日に限って見当たらなかった。大鍋を見下ろしながら、「まあ引っ張れば切れるだろう」と四脚の上で、思いっきり力を入れた。その瞬間、ガシャーンと大きな音がし、バランスを崩した岡会長の上に煮えたぎったフェイジョアーダが降ってきた。
 叫び声を聞いた婦人部の人々が駆けつけ、すぐに病院に運んだ。
 「残念ながらもうダメでしょう」。医者は家族を呼んで引導を渡した。全身の皮膚の四〇%が二~三度の重度火傷だった。全身にガーゼをぐるぐる巻きにし、顔だけ出してベッドに横たわった。
 「顔がこんなに膨れ上がっていたよ」と岡さんはサッカーボール大のサイズを示す。「ソグラが見舞いに来たが、分からなくて隣の部屋に行ってしまったぐらい」と今は笑いながら話すが、当時は冗談にならなかった。
 毎日、ガーゼを取り替えるだけで三時間半から四時間かかった。「そのたびに皮がもげて血が流れる。あの痛さは、やったもんじゃなきゃ分からんよ」。痛み止めが効かなくなり、終いにはモルヒネを制限いっぱいまで使う状態だった。
 一カ月後、なんとか退院。医者から「こんなに回復するとは」と驚かれた。妻の美恵子さん(52、岡山県)も「あの時に、本当にみなさんにはご心配かけてすみません」と振り返る。見舞いのためだけに、わざわざ日本から来た人までいた。
 十数年間続いてきた伝統のフェイジョアーダ会だったが、以来、会の中では「フェの字も言わなくなった」という。「万が一、また事故が起きたら…」と心配する声が後をたたない。「活気を取り戻さなければいけない。気を付ければ事故は起きない。イベントをやって起爆剤にしなくては」と岡会長が呼びかけ復活となった。
 しかし、今回も「どうしてやるの」と反対する声もあった。でも、岡会長はこだわった。「去年だったらそんな元気はなかった」。この四月にも腹部のケロイドをとる手術をしたばかり。「ようやく一カ月に一回なら、四足動物の肉を食べてもいいと医者の許可が出たばかりです。ちょうどこの会に間に合いました」と笑う。
 三年ぶりの味はどうでしたか――。「婦人部が丹精込めて作ってくれたもの。やっぱり特別です。美味しく頂きました」。
 自身のタブーを乗り越える勢いが、そのまま会活動の活性化へとつながっている。三百食以上用意したが、売り切れた。「これでみなさん、ファイトを燃やしてくれるのでは」。
 復活のフェイジョアーダは、会員全員にとって格別な味わいがあったようだ。