先日、平野植民地を取材で訪れた。六百人以上が参集。しかし、迎える側はわずか十二家族。近隣移住地の協力があったとはいえ、式典と千人分の食事の準備は大変だったろう―。
三百家族以上がいた植民地最盛期の一九三〇年代、「結婚式の招待状を配って歩くのが大変だった」というかつての少年。六十年振りに懐かしの土地をこのたび訪れた。
「タツーが骨を引っ張りだしていた」と平野運平氏が眠る日本人共同墓地で目撃した原体験、勝ち組の特攻隊に誘われた思い出を記者に語り、「感無量」と空を見上げた。
日本語学校の同級生二人と再会、思い出話に花を咲かせた植民地生まれの元青年団員もいまや八十代。「本当に懐かしかった」と満足顔で、帰りのバスに乗り込んだ。
再会、思い出が交錯するこのような一日を過ごすたび、〃記者冥利〃と毎回独りごちる。(剛)
05/7/8