幸福は現実と希望の間に=高齢者は可能な範囲で常に夢を
7月13日(水)
【ヴェージャ誌】全てのプロは幸福よりもロマンを求めていると、ハーバード大学のステフェン・カニッツ教授はいう。ブラジルで幸福といえば、何もしないで酒池肉林の中、昼寝することだと思われている。
幸福の定義とは、複雑で単純には表現できないものだと同教授はいう。教授なりにまとめてみると、自分に可能な範囲で希望や目標を達成することとした。内容は十人十色でよい。
誰でも夢という風船の中で、まだ知らない世界に挑戦する。確かな基盤に立ち、自分の知っている分野で小さな風船を膨らませることが多い。自分の経験に従い目をつむっていても、何ら不安はないからだ。
夢という二つの風船を観察すると、一つは完全管理のもとで小規模に、他方はこれから征服しようと挑戦することになる。二つの風船間の間隔が大きいほど、不安とストレス、不如意、葛藤に悩まされる。
完全管理下もよいが、ほとんどは将来に発展の余地はない。幸福とは、二つの風船の理想的間隔を発見することではないか。幸福の第一ステップは、夢や希望の適切な大きさを決めることから始まる。
それに賭ける情熱の度合いで全ては可能なことだが、実力には限度があることも事実だ。大統領を志すなら、州知事か上議位になっていること。どこの馬の骨とも分からない者が、大統領を志しても無理というものだ。
第二ステップは、自分の実力を過小でも過大でもなく正直に評価すること。第三が現実と希望の間で中心点を算出すること。この三つの条件が、幸福を生み出す秘訣ではないだろうか。
第三ステップで計算を誤ると、学生たちが社会運動に打ち込むのと同じはめになる。大学の初年度で学んだことを若者は直ちに実現しようとする。ここで誤算があるとストレスが生じるだけで、幸福感を味わうことはまずない。
不相応な栄転は、期待に押し潰される。会社を起死回生させた功労者は、一将功なるため万骨を野に枯らせる。自分のために他人を犠牲にする。栄転を望まず下積みで満足するなら、早晩負け犬の人生を味わう。負け犬でも幸福というなら、それでもよい。
幸福とは過程であって、結果ではない。実力と野望のハザマで、高血圧や不安と戦うことも幸福のうち。それでストレスを感じるなら、野望の風船を少ししぼませたらどうか。それがイヤなら、勉強するか他人に頭を下げて教えを乞うか、実力を養うしかない。
高齢者は征服した領土を失うことを嫌い、譲歩しないので幸福になれない。年を取るに従い、野望を縮小するのは敗北ではない。高齢者は博識を以って誇りとするのでなく、学ぶ意欲が旺盛であることを以って誇りとする。
熟年は甲羅に似せて穴を掘り、よく学び、よく観察し、可能な範囲で夢を抱き、構想は周囲の要望でほどほどに。目標は小分けにして達成し、常に新しい目標を設定する。そうすれば誰でも幸福になれると思う。どうだろうか。