六〇年代の初め、新来だったころ、コロニアの陸上競技大会を見た。審判団が整然と行動しているのに驚いた。招集をかけられて会場に来たのだろうが、嬉々としてやっているようでもあった。実際そうであったに違いない。つまり、勤勉で、努めるのが好きだったのである▼コロニアにおける陸上競技は、最古のスポーツの一つで、選手たちは選手というだけで、胸をはれる存在だったようだ。娯楽が少なかった時代のことである▼古い人たちは周知のように、北パラナのアサイはトレスバラスと呼んだ。同地で六十六年前「汎トレスバラス支部対抗陸上競技大会」が創設された。五〇年代の最盛期は参加十五、六チームを数えたといわれる▼面白いことに、同地がアサイと呼ばれるようになっても、陸上競技大会の名称だけは、昔のままだ。主催者は、代替わりしても懐かしい名前を大事にしているのである▼アサイ日系人は「伝統」を大切にしている。農産品評会の優秀品につける等級札をプリメイロ・ルガール、セグンド・ルガールと横書きにせず、「一等賞」「二等賞」と手書き、縦書きすることにこだわる。一世の〃感傷〃かとも思われるのだが、現実には、一世数はすでに僅少である▼陸上競技大会審判団も着実に世代交代が行われている。と同時に、日系人に関しては競技者数が減っている。三度のメシより陸上が好きだった人たちは、審判団に回り、後進を育てていた。それが、あの整然、さっそうと目に映った姿だった。(神)
05/7/13