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半世紀のコチア青年=リオ、ミナス州に親善交流の旅=連載(5)=柴山さん、下戸でも〃手〃で利き酒=カシャッサ6万L生産

7月14日(木)

 ミナス・ジェライスの州都ベロ・オリゾンテはサンパウロ、リオデジャネイロに次ぐブラジル第三の都市だ。サンパウロ市の北々東約六百三十キロに位置している。人口が多いということは相対的に市場規模が大きいことでもある。コチア青年が比較的に多く居住しているベッチン(Betim)は、州都の衛星都市の一つで、サンパウロ市まで五百八十キロだ。
 七月三日、ベッチンを訪問したコチア青年親善交流団のバスに同乗して行動を共にした柴山海蔵(群馬県出身、六十七歳、第二次九回)は、ベッチン近郊のイガラペ(Igarape) でカシャッサを生産している。観葉植物の育苗場を経営している土谷密夫(長崎県、二次一回)と隣同士の仲だ。
 カシャッサは砂糖キビ(カンナ)を絞った千リットルの液から、わずか二十リットル、つまり、五十分の一、しか生産されない。イガラペでの生産適期は八月から十一月だ。この期間だと、甘みを持つ良い製品ができる。雨が降り始める一月以降は甘みが落ちるので、生産を控えている。年間六万リットルを生産している、という。
 製品は寝かせず、新酒を出荷している。大市場の近郊にある強みだ。柴山自身は酒をたしまないので、〃手〃で味を見る、という。熟練者のなせるワザのようだ。
 一九六〇年十一月、サントス港に着いて配耕されたのがサンパウロ市の近くにあるコンゴニアール移住地だ。配耕直後に用事があってコチア産業組合本部に出て来た時のことだ。移住地に戻るのに、組合本部とコンゴニアス空港をバスで一週間も往復した〃奇異〃な経験を持つ。
 当時はポ語も分からず、土地感覚もなかった。バス停で「コンゴニアールへ」と言ったつもりが、毎回、運転手は「コンゴニアス」と誤解した。徐々に目が慣れてきた一週間後、バスの窓から目を凝らして外を見続け、かすかな記憶を頼りに途中下車をして、数キロを歩いて移住地に戻った。
 群馬県の郷里で体を鍛えていたので、パトロンの元での仕事は辛いとは思わなかったが、消毒作業で足を悪くしたため、健康第一を考えて、六二年に開催された第一回コチア青年大会に参加したその足でベロ・オリゾンテに来た。
 山口節男(長野県、一次二回、去る四月初旬に不慮の死)と親交があったので、山口からカーネーションの苗木を購入して栽培を始めたが、成功しなかった。バラの栽培もダメだった。放牧に挑戦したが、牧草が雑草に負けてしまった。七回も手術を重ねており「カラダ中が切り剥ぎだ」と述懐する柴山だ。
 思い切って砂糖キビ栽培に転向したのが幸運を招き、八六年にカシャッサ生産を始めた。砂糖キビは十五ヘクタール栽培している。五年毎、部分的に苗を更新している。六万リットルのカシャッサを生産するには十分な面積だ。今は長男の守(まもる)が跡を継いでいるので安心だ。「ワシと違い、息子はピンガが好きでねえ、飲みながら作っている」と言う。
 日本にはすでに五回行っているが、日本で日系二世に嫁いだ娘に最近、子供が生まれたので、六回目の訪日は、孫の顔を見る楽しみが待っている。既に帰化し、ブラジルを愛する一人だ。趣味の将棋が縁で、三年前には日本将棋連盟の招待で東京での大会に参加する幸運にも恵まれた。本人は否定するが、かなりの腕前らしい。
 ブラジル将棋連盟(中田定和会長)の会員でもあり、年四回、サンパウロ市で開催される大会に参加する機会も多いようだ。七月三日の夕刻、ベッチン市内のホテルにコチア青年の仲間たちが集まってきた。つづく(文中敬称略)

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