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勇気をくれる観衆の思いやりの目=歌える幸せ=中平マリコさん公演で実感

2005年7月29日(金)

 「あなたの声は心の中に飛び込んでくる。そしていい意味で心をかきむしって留まってくれる」。ブラジル、パラグアイを中心に公演活動を行っている歌手の中平マリコさん。「公演中に一番みんなに言われた言葉」だと言う。残す公演は三十一日にモジ・ダス・クルーゼス市で行われる「第一回ドミンゴコンサート」(ブラジル日本文化協会五十周年記念コンサート)のみとなった。
 「去年の倍の二十二回公演」。憩の園やサントス厚生ホームなどの福祉施設、マナウス、グアタパラ、ピラポなどの移住地を約一カ月かけて公演した。
 二十一日にはイグアスー移住地で「自宅訪問」を行った。この家の夫婦はどちらも身体障害者。夫は、戦争経験者でもある。「この人は、『生きていることが罪だ。死にたい』と言っていた」。夫婦二人の手を取って「戦友」を歌った。「そのとたん、二人が声を上げて泣き出した。『神様が僕のところに来てる、安心して死ねる』って。もう泣かずにはいられなかった」と、その時の状況を思い出し、涙した。
 戦前入植地ラ・コルメナ市の公演では「四十五年ぶりに日本の歌を聴いた」人が多く、「たまらないよね。日本の歌を歌っていく凄さを知った」と目を輝かせる。
 弓場農場では不思議な体験をしたという。「着いたその日から不思議な力を感じた。歌っている時は、魂が身体から抜け出て、違う所で私自身を見て遊んでた」。また、歌うときは必ず雨が降り、話出すと止むという現象が起きたそう。
 中平さんは、二年前、肩に障害があることが判明。これは三十年前の舞台での事故がきっかけ。去年ブラジルを訪れた時は身体障害者四級だったが、今年は「三級を飛び越えて二級になった」。軟骨がなくなり、骨と骨とが摺りあう症状。痛みがひどく、腕を上げるのも一苦労だ。「痛まない時はない」。朝、晩泣きながらリハビリをしているという。「ショック受けてないつもりだったけど、視神経をやられて一週間右目が見えなくなった。何で私ばっかりと思った時もあった」と話す。「でも、この痛みで自分を飾らなくなった。同じ苦しさだったら眉間にしわを寄せるより、笑顔で生き抜きたいよね」と微笑む。
 三十一日の最終公演は、文協主催では初めての地方公演となる。来年は「CDが欲しい」という人が多いため、ブラジルでレコーディングをし、販売する予定。
 「いつ歌えなくなるかわからない。でも歌があるから生きられる。周りに支えてくれる人がこんなにもいることに気づいた」と話し、「これがあったからこそ辛い過去も乗り越えられた。痛みは私にとって必要だったのかも。観客の思いやりの目が勇気になります。本当にありがとう」と感謝を表す。
 「いつでも金太郎飴でいたい。どこを切っても同じでしょ。それみたいにいつも笑顔でいたい」とにっこり笑う中に、辛い過去を乗り越えてきた強さを見た。