2005年7月30日(土)
サンパウロ市から約五百キロ離れているプロミッソン移住地に移民の父・上塚周平翁の頌徳碑が建つ。その碑を守る墓守のような人がいる。八十四歳の二世・安永忠邦さんだ=写真=。
碑のある場所は上塚周平記念公園と呼ばれ、住民の憩いの場になっている。一角にある運動場は、日系移住者によってブラジルで初めて運動会が行われた由緒ある場所だ。上塚翁が見たであろうパイネイラの大木が運動場を見守っている。
その運動場に面して、昭和三年(一九二八年)八月三十一日に建立された『開拓十周年記念塔』がある。
当時、上塚翁は小屋のような家に住んでいた。そこで入植者たちが、十周年の記念に上塚翁のために新しい家を建てよう、と相談した。すると翁は熊本弁で「あんたどん、わしが家ば建てたちゃ、わしゃ入らんばナ。カネあれば、十周年記念塔を建てたらどうじゃナ」。そう言ったという。移民の父の謙虚さを物語る一言だ。
頌徳碑と記念塔は互いに背向きに建つ。「なぜか分かりますか」と安永さん。当時の道が記念塔に面していたからだそうだ。今の道路は頌徳碑の前を通る。プロミッソン市役所は、州道SP三〇〇号から上塚公園に通じる道路七キロを「上塚道路」と命名している。
頌徳碑の隣には入植先没者を祀る光明観音堂があり、大阪から運ばれた千手観音菩薩が御霊を見守る。 (渡)