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ブラジル色強まった舞台=第3回YOSAKOIソーラン=優勝はグルーポ・サンセイ

2005年8月2日(火)

 第三回ブラジルYOSAKOIソーラン(浜崎マルセリーノ実行委員長)が三十一日、サンパウロ市ヴィラ・オリンピア区のヴィア・フンシャルで開催された。十八チーム・約千人が舞台で熱演し、会場に詰め掛けた観客は一、二部合計で五千八百人にも及んだ。総合優勝は初出場のグルーポ・サンセイ(ロンドリーナ)。和太鼓を用いながらブラジル北東部のリズム、バイアォンを融合させるアイディアをうまく集約させ、華やかな舞台を作り上げた。
 今年は出場者の中に非日系人の割合が増えた。パフォーマンスも日本のヨサコイ・ソーランの真似から、独自の色が見られるようになってきた。
 二十五人の若者で構成されるグルーポ・サンセイ代表の樫木アリーニ(28)さんは「これまで生きてきた中で一番幸せ」と涙と笑みでいっぱいの顔で喜びを表し仲間と抱き合った。
 一九八八年にカラオケ教室の青年たちが日本の文化を通じて交流することを目的に結成されたグループだ。「サンセイ」には「三世」のほかに「良いアイディアに賛成する」の意味も込められている。
 ヨサコイ・ソーランを始めたのは一昨年七月から。ロンドリーナの祭りで踊っていたが、そのうち「自分たちだけのヨサコイ・ソーランで日系人の気持ちを表現したい」と、市内の作曲家マルコ・トゥレタさんに頼んでブラジル文化と日系文化を併せ持った音楽を作ってもらったという。
 唯一アドゥルト、ジュニア両部門に出場したPLは両チーム共に入賞する快挙だった。得意のバトントワリングやパレ―ドのようなタンボーレスの楽団で会場を沸かせた。
 初出場チームでは総合優勝のグルーポ・サンセイの他、クリチーバの若葉とカンピーナスのニッポ・カンピーナスも健闘した。
 ブラジル的な要素を取り入れ、日本のヨサコイの音楽をアレンジしたり、独自に作曲していたところが目立った。
 浜崎実行委員長の「日本文化をブラジルに広めて融合させる」という意図は実現に向かっている。
 中でも松柏大志万(サンパウロ)は、生徒の保護者がミキシングしたというサンバとカポエイラのフレーズが溶け込んだ音楽に合わせて、ジンガやサンバのステップを踏み、鳴子を鳴らすというブラジルならではのヨサコイ・ソーランで注目を浴びた。
 昨年総合優勝したユバ・バレエは、更に日本的な動きやソーランを追求した作品。優勝を逃したものの、完成度の高いダンスに観客は見入った。
 オープニングとエンディング、休憩の時間には太鼓のチームが演奏し会場を更に盛り上げた。
 浜崎実行委員長は「ほっとしたというのが正直な感想。もう今月から来年のヨサコイに向けての会議が始まります。次も頑張りますよ」と意欲を見せた。
 「ガイジンと日系人が一緒にやってる姿がとてもいい。日本とブラジルのリズムが混ざり合って、とても面白い音楽と踊りになっていた」というのは会場に見に来ていた川波瞬次さん(60、二世)。
 また、ジュニア部門優勝の平成鳴子キッズの生徒の父兄、新垣学さん(49、二世)は「以前はしなかったが、ヨサコイを始めてから息子は踊りをするようになって、前より活き活きしている」と話した。
 入場料の代わりに集められた食糧は四トン三百キログラムに及び、日系、ブラジル各三の福祉団体に寄付された。
■結果■総合優勝=グルーポ・サンセイ(ロンドリーナ)、ジュニア部門優勝=平成ヨサコイキッズ(平成学院、サンパウロ)、二位ヴィダ・エ・アルテ(PL、サンパウロ)、三位=ビリチーバ・ミリン日本語学校(ビリチーバ・ミリン)。アドゥルト部門優勝=ヴィダ・エ・アルテ(同)、二位=ユバ・バレエ(弓場農場、ミランドーポリス)、三位=レキオス芸能同好会(サンパウロ)。