パラナ日文連の沼田信一さんが、日本移民の開いた植民地を調査したことがあった。数年前のことだ。その数二千、開いた土地は百万アルケールに達するのではないか、沼田さんは当時そんなふうに記者に語った。
アレグレ植民地を訪ねた。かつて三百を数えた日本人家族も、いまは二十数家族。往時の面影を求めることは難しい。それでも入植式典を開けば、数百人の人々が集まる。不思議な気がした。
歴史に埋もれた植民地は多い。原始林を開き、作物を植え、土地が悪くなれば出て行く。当時はそれが普通の事であったのだろうし、その延長に現在の日系社会がある。
郷土会の一行と東部アレグレ会館跡を訪ねた折、同地に暮らす川瀬タダヨシさんに会った。
「皆の名を刻んだプラッカを作ろうと思う」と川瀬さんは言った。「孫の代になったら忘れてしまうから」。(ま)
05/8/5