鮨職人の腕は玉(ぎょく)でわかる。卵を厚く焼のは難しい。所謂、厚焼きだが、あのオムレツを上手に焼くのには至難の技がいる。フランス料理の名人・村上信夫さんも、修業の頃には苦労の連続だった。10枚も20枚も試して見るのだが、客に出せるようなものができない。先輩からは叱られる。失敗作はお前が食べろと命令されオムレツの山を胃袋に押し込んだそうだ▼10代から料理の世界に入り、味を盗もうと鍋の底に残ったソースをこっそり舌に乗せたりもする。あの戦争では兵隊に召集されたが復員後にパリに料理修行へ。勤務先の帝国ホテルで自慢の味を披露しながら主婦向けのNHKのテレビに出演しフランス料理の普及にも力をいれる。この太った料理人はフライパンに格別なこだわりがあったようだ▼自分の娘が嫁ぐときには、鉄製のフライパンを持たせるのが村上流だと書いている。鉄製なので一生使えるし、これの使い方がわかれば料理は何でも造れるの信念のようなものがあったらしい。確かにステーキや炒め物、オムライスもだしソースの基本もこの一丁があればOKである。丁稚奉公から叩き上げた達人・村上シェフは庶民派なのである▼東京オリンピックのときには、選手村で世界から集まる選手らの料理長を務める。帝国ホテルでは専務取締役となり総料理長として指揮を取り、後進の育成にも励む。そんな村上信夫さんが84歳で亡くなった。勲4等瑞宝章を受勲。厳しくも華麗な料理人の人生であった。 (遯)
05/08/09