ホーム | 連載 | 2006年 | JICAボランティア リレーエッセイ=最前線から | JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(7)=森川奈美=マリリア日系文化体育協会=「気づかなかった素晴らしさ」

JICA青年ボランティア リレーエッセイ=最前線から=連載(7)=森川奈美=マリリア日系文化体育協会=「気づかなかった素晴らしさ」

2005年8月11日(木)

 ブラジルと書道。この全く接点がないような二つの単語が組み合わされる日が来るなんて、想像もしなかった。しかも自分がそれに大いに関わることになるなんて。
 今、私はブラジルの日系社会に書道の文化を広めるため、主に日本語学校の生徒達を中心に教えている。書道の練習は根気がいるので、子ども達が毎回飽きないよう工夫するのに、未だ試行錯誤である。
 最近では日系人の方からの希望で、週一回放課後の書道教室も始めた。とても練習熱心な方々で、こちらが感心するほどだ。
 日本にいたときは、書道ができることがそれほど特別なことだとは思わなかった。通っていた書道教室では同じくらい書ける人は周りにたくさんいたし、書道の能力が活躍する時と言ったら、年に一度の年賀状書き程度で(それも最近はパソコンでも簡単にできるようになったが)、所詮習い事の範疇から脱することはなかった。
 けれどもブラジルに来てから、自分の能力は日本にいた頃と何一つ変わらないのに、なんだかそれが誇らしく感じるようになった。 そう思えたのは、これまで教えてきた生徒達のおかげだ。私が何か字を書くとき、それまでおしゃべりしていたみんなが一斉に黙り込み、筆の動きに視線が集中する。
 その少し緊張感のある沈黙は、とても心地よい。そうして書き上げた後、みんなの驚きの混じった喜ぶ顔を見て、嬉しくなるのだ。 書道を知らない人にとっては、水から真っ黒な墨ができること、限られた空間で自由に筆を操れること、真っ白な紙に一瞬にして綺麗な文字が浮かび上がること、その一つ一つがすごいことなのだ。日本ではあまりに当たり前すぎて、忘れていた書道のすばらしさを、こちらに来て改めて気づいた。そして思った。今まで続けてきて良かったと。
 これまでの活動から感じるに、日系社会の中でも、案外書道を知らない人が多い。町では漢字入りの商品や看板を見かけるが、それは既にもう完成した文字だ。ちゃんと筆で文字を書いている姿を目にしたことがない人が結構いるということである。
 筆で書いた文字は美しい。けれど、それは書道のよさのほんの表面的なものでしかない。本当に素晴らしいのは、書くときの過程にある。日本から来たからには、ぜひそれを見せてあげたい。
 そしてできれば、自分で書けたときの喜びを知ってもらいたい。活動はあと一年と半年、どれだけ多くの人に伝えることができるだろうか。
    ◎   ◎
【職種】書道教師
【出身地】奈良県奈良市
【年齢】27歳

 ◇JICA青年ボランティア リレーエッセイ◇

JICA連載(6)=清水祐子=パラナ老人福祉和順会=私の家族―39人の宝もの
JICA連載(5)=東 万梨花=ブラジル=トメアス総合農業共同組合=アマゾンの田舎
JICA連載(4)=相澤紀子=ブラジル=日本語センター=語り継がれる移民史を
JICA連載(3)=中村茂生=バストス日系文化体育協=よさこい節の聞こえる町で
JICA連載(2)=原規子=西部アマゾン日伯協会=「きっかけに出会えた」
JICA連載(1)=関根 亮=リオ州日伯文化体育連盟=「日本が失ってしまった何か」