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コラム 樹海

あの日は炎熱であった。茶の間に集まった家族や村の人々は神妙な顔つきをしてラジオに向かう。子供の目には奇妙な情景だったが、みんなが緊迫した表情で軽口を叩く者もいない。家族も部落の人々も全員が起立。やがて玉音放送が始まる。昭和20年8月15日の正午は、ものすごく暑く家のなかにいても汗が吹き出るような酷暑である。昭和天皇の重々しい声が終わると村人らの顔は滂沱と流れる涙で濡れる▼あれから60回目の終戦記念日を迎える。もう―。「終戦の詔書」を告げる昭和天皇の玉音放送を自分の耳で聞いた人も少ない。あの痛ましい戦争で亡くなった人たちを悼む慰霊祭にも戦没者の母や父たちの出席は今年から中止されることになった。みんなが年老い、あるいは黄泉へと旅立ってしまったのである。今や妻や子らの遺族が、異国や本土の戦いに散った人々を弔い御霊に語りかける▼無謀な戦いの批判が強い大東亜戦争だが、多くの陸海軍兵士らが命を賭けての戦であった。中部太平洋諸島では十万人近い兵士が戦没しフイリピンでも49万6千6百人が死に追いやられている。軍隊の戦死者は200万人を超えるとされるし、戦後の混乱したときには、民間人を含めて600万人の引揚者が日本列島を埋め尽くし、移民復活の導火線にもなったのである。こうした尊い犠牲の上に今日の繁栄があることを忘れてはなるまい▼戦後は「軍人悪人論」ばかりが罷り通っているけれども、戦没した兵士らの心は純真そのものであったし、その心意気を受け継ぎ大切にしてゆきたい。それが21世紀に生きる日本人の責務でもあろう。八月十五日は「終戦記念日」。 (遯)

05/08/13