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改革に向け機は熟した=政治危機はチャンス=変わり出した汚職に対する目=足元の改善から始めよう

2005年8月17日(水)

 【エスタード・デ・サンパウロ紙二日】政治危機は国のかたちを修正する唯一のチャンスだが、雨降って地固まるのだろうかと、サンパウロ大学のサワヤ・ジャンク教授が問う。ノーベル経済学受賞者のダグラス・ノース博士が主催する、国家の質と能力を研究する会がある。そこの会誌で、ブラジルの政治危機のために寄稿した論文がある。その要旨は、国家の形成には発展を奨励する制度と処罰の制度を定める法体系が必要という。
 分かり易くいえば、アメとムチの公式ルールと非公式ルールを設定すること。このルールが成果を上げたのは、十六世紀から十八世紀の英国とオランダであり、退廃したポルトガルとスペインが好対照である。マックス・ウエバーはプロテスタンティズムの価値観が、資本主義の隆盛をもたらしたと説明した。
 ブラジルが注目すべきは奨励のルールだ。奨励制度が法体系の改正を求めた。ルールは生産原価の削減やロジスチックの経費削減、労使間の協調、経済の不確定要素の減少を講じる手段である。同時に所有権の保障や生産者の社会参加、契約の履行を促し、結果として、それが市場の拡大と投資の増大につながった。
 ブラジルの問題は、法体系が複雑で曖昧な点が多いことだ。経済ルールは行き当たりばったりで確立していない。裁判所はのろくて予想外の判決がでる。契約の履行と所有権はひんぱんに侵される。政治システムといえばバラバラだ。
 政治家と選挙地盤の間には、政治理念のない馴れ合い関係が根を張り、えこひいき、閨閥主義、縁故主義が大手を振っている。慣習として融通主義が先行し、国民レベルで他力本願が浸透。誰も問題へ徹底的に取り組むことがなく、面倒なことは政府か神様が解決すると思ってきた。
 政治危機の真っ最中では、批判意見に事欠かない。否定的部分ばかり見ず、肯定的部分を見るなら三点で改革が行なわれた。
一、財政均衡を優先した点は、大衆迎合の経済政策ではないことが分かる。
二、検察庁や連邦警察の捜査能力向上、マスコミや社会団体の活動向上、社会の目が汚職に対し、以前の無関心から脱皮している。
三、社会慣習の変化がある。世論調査への協力や悪徳政治家、悪質官僚の追放に国民が関心を持ち始めた。無駄遣いの選挙制度、無節制の政党制度、盗むが仕事もする政治家が支持を失いつつあるなどだ。
 現在は政治改革、経済改革、司法改革、社会改革に向けて機が熟したのだ。幸いにも空しいユートピアと現実との距離は短縮しつつある。理想のブラジル作りは、神頼みではなく国民一人一人が取り組む課題である。
 雄大な未来ばかりを夢見ていないで、足元の生活と習慣の改善から始めよう。前例はチリや韓国、ポルトガルといくらでもある。これまでブラジルは、救世主の出現を頼んで空ばかり仰いでいた。
 いつまでも無力な子供のようなことをしていないで、自分のことは自分でする大人になったことを自覚しよう。サッカーでいうなら、試合上手になったのだ。転んだ位のことは問題ではないのだ。