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本紙記者がのぞいたパラグアイ日系社会=来年移住70年=連載(2)=ラパス移住地今年50周年=式典には大統領や田岡功大使も

2005年8月18日(木)

 「入植半世紀を迎えた節目の年。記念祭を盛り上げたい」と意気込むのは、ラパス日本人会の佐々木広一会長。
 式典はラパス市(八六年に市制。宮里伝市長)中央にあるラパス・イタプア国際文化会館で行われ、同移住地出身の田岡功パ大使やニカノル大統領、日パ両国の政府関係者も出席、約七百人の来場が予定されている。
 祝賀会では長寿会による日本舞踊やパラグアイ伝統舞踊、若者を中心としたグループによる太鼓演奏、地区選抜紅白歌合戦が祝いの日を盛り上げる。
 一九五五年六月に十二家族のフジ地区入植が嚆矢となる同移住地に住む日系人は現在、約七百五十人。市人口約三千人の約四割を占める。
 九割が大豆や米など農業(牧畜や養豚含む)に携わる。ラパス移住地は五十年を迎え、パラグアイ南部屈指の穀倉地帯に成長した。
 〃町ぐるみ移住〃として話題になった広島県沼隈町備後開拓団第一陣として五六年にラパス地区に入植した宮里玉枝さん。
 「ほんとジャングルだった。大木を切り倒し、焼いた後に残った切り株で子供を遊ばせてね」と開拓当時を振り返る。移住地と共に育ったその長男は、現在のラパス市長だ。
 「自分の娘に言っても信じないんだよね」と笑うのは、ラパス日本語学校の藤井博校長。同開拓団の入植記念碑に刻まれた「ラパスは一日にしてならず」の揮毫を書いた。
 ブラジルの移住地同様、若い世代の流出により高齢化が進む同移住地だが、長寿会ではゲートボール、パークゴルフ、誕生会、もちつきと盛んな活動を行っている。
 七十代の女性を中心に活動する「ほがらかクラブ(宮里玉枝代表)」は最近、豆乳や竹炭での石鹸作りに取り組み、市販も行うなどお達者ぶりを見せている。
 五十周年事業の一環として、記念詩の編纂も昨年七月から取り組んでいる。
 フジ、ラパス、サンタロサ三地区の統合前後の活動、農協や日本語学校の変遷をふんだんに写真を取り入れた構成となっており、同移住地で活躍したボランティアにも触れている。
 資料収集を行った山田事務局長は「おらが村の記念誌だから、みんな写真なんかを持ってきてくれてね」と移住地全体の協力があったことを強調。
 「集大成ともいえるものを作りたい」と意気込む。今年末に刊行予定。
 二年続きの不作に見舞われたラパス移住地。佐々木会長は「非常に厳しいなかでの五十周年」としながらも、「国内外から多くの人たちに出席してほしい」と半世紀を迎えた移住地の喜びの日を共に祝いたい考えだ。つづく
    (堀江剛史記者)

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