ホーム | 日系社会ニュース | 隊歌斉唱感激新た=「開発青年隊でよかった!」=仲間が菅原さんの勲章受章祝う=人生のモットー「尊いことは人に尽くして見返りを望まないこと」

隊歌斉唱感激新た=「開発青年隊でよかった!」=仲間が菅原さんの勲章受章祝う=人生のモットー「尊いことは人に尽くして見返りを望まないこと」

2005年8月20日(土)

 「われわれの仲間が日本政府から勲章をもらった」――平成十七年春の叙勲で旭日双光章を受章した菅原和司さん(71)を祝う会が十七日午後二時から、秋田県人会館で行われた。主催は南米産業開発青年隊協会(牧晃一郎会長)。約四十人が会場にかけつけ、共に祝った。仲間の祝福を受け、菅原さんは「開発青年隊でよかった」。
 菅原さんは一九五九年、南米産業開発青年隊第三期生としてあめりか丸でサントスに着港。
 第一期生の進藤次夫さんが司会を進める中、先没者に対して黙祷を捧げた。次に青年隊綱領誓いの言葉を全員で述べ、隊歌を斉唱した。続いて牧晃一郎同会長が挨拶し、菅原さんに記念品を贈呈。早川量通さんが「菅原さんの気持ちになって呼んでみた」と言う「菊薫る 春の叙勲や 妻ありて」との句も贈呈された。
 菅原さんは「私のようなものが勲章を貰うもんじゃないと今でも思っています。これは皆さんを代表して貰っている。(着伯した)五九年から苦しいこと、楽しいこといっぱいあったが、青年隊の魂は常にあります」と述べた。
 また、沖田豊穂在サンパウロ日本国領事、中沢宏一ブラジル日本都道府県人会連合会会長が来賓として参加。それぞれ挨拶を述べた。
 その後、第一期生の前に先遣隊として渡伯した磯仲雄二第一次青年隊員が乾杯の音頭をとり、会場に訪れた人々は同隊隊員である菅原さんの栄誉を称えた。
 菊池義治サンパウロ日伯援護協会副会長も同隊出身者。菅原さんとは、渡伯するために東北六県と北海道出身者が集まり行われた多賀城訓練所で、第一期生として一緒に勉強した仲だという。「菅原さんは頑張る先輩だった。だからわれわれも一生懸命やろうとブラジルで頑張ってきた」と話した。
 クリチーバから訪れた坂本円二さんは「先輩の菅原さんの〝一番尊いことは、人に尽くしてその見返りを望まない〟を人生のモットーとしていることに感動し、一度お会いしたいと思って来た」と言う。
 菅原さんは最後に「皆のために何かをするには一つの信念がいる。青年隊の頃の気持ちをなくさないようにしたい。青年隊でよかった」と喜びを表した。
▽主な略歴・・・リオ州日伯文化体育連盟の理事を長年努めた。その間理事長として二期務めを果たした。修好百周年記念事業実行委員会副委員長に就任、リオ植物園に日本庭園を建設した。また、ペトロポリス高原地域の幹線道路わきに桜三百五十本を植樹した。ゲートボールブラジル公認一級審判員の認定にも合格、同州における体育振興、老壮年層の健康増進に貢献した。