2005年8月24日(水)
【エスタード・デ・サンパウロ紙六日】七〇年代のオイルショックに対処するため草案されたのが、プロアルコール計画であった。同計画は、持続可能な代替エネルギーの鳴り物入りで登場した。続いて七九年にフィアットがアルコール車を発表した。
政府の補助金を受けてアルコール燃料が普及し、アルコール車も定着した。それから十年後の九〇年代、原油供給も正常化し、ガソリン車の時代が再来した。次はイラクへの米軍による武力介入で、原油市場は不透明時代を迎えた。
オイルショックの亡霊が蘇ったのだ。アルコール用のみならず、多種燃料用エンジンも開発された。フォード社は二〇〇二年、フレックス燃料車フィエスタを発表した。
GMも〇二年九月、ヴェクトラ・フレキシブルを発表。フォルクスワーゲンは〇三年三月、ゴル・トタルフレックス一・六を発表した。アルコール燃料が原料をさとうきびに依存するなら、半永久的に安泰だ。
配給公社(CONAB)の発表によれば、〇五/〇六年のさとうきび生産量は四億五〇二万トンとされる。アルコール生産用に一億八二八万トンが回され、一七五億リットルのアルコールが醸造される。国内用には十二分である。
サンパウロ州ではさとうきび生産が年々、六%増で伸びている。地方部では輸出用オレンジジュースの木を抜いてさとうきびに変更している。生産者にとってもアルコール燃料の定着は所得の安定につながる。