2005年8月31日(水)
【サンファン発=堀江剛史記者】犬も通わぬサンファンも今年で入植五十年――。一九五五年の西川移民を嚆矢にその歴史が始まった同移住地は今月二十日、入植五十周年を迎えた。式典には政府から四閣僚も駆けつけ、国内における評価をアピールする機会ともなった。今年一月、移住地出身の伴井勝美氏(39、二世)が初のサンファン市長に就任。七月には移住地がボリビア最高勲章「コンドル・デ・ロス・アンデス」が叙勲されるという幾重もの喜びに沸くサンファンを訪れた。
二十日午前八時過ぎ。除幕式のため、覆いがかけられた入植記念碑を遠巻きに続々と集まる参列者。空は野焼きの煙と薄い雲に覆われ、むっとする特有の熱気に包まれていた。
「サントスからバウルー、リンス、カンポグランデなんか通ってね。サンタクルスまで十日くらいかかったかな」
野外会場に用意された席に座り、式典が始まるのを待つサンファン農牧総合協同組合の伴井富雄組合長は往時を回顧した。
約五十日の航海を経て、サントスから鉄道に乗り換えた移住者たちは、ノロエステ沿線都市での停車を繰り返しながら、ボリビア、サンタクルスに向かった。
停車時間を利用しての洗濯や炊事、時には薪の運搬も手伝った鉄道の旅。その先々で移住者たちを優しく迎えた同胞の好意は、開拓生活前夜にさした一条の光だった。
今月六、十日付けのニッケイ新聞紙面に「心をこめて感謝致します」と銘打たれたサンファン移住地からの広告が掲載された。
「戦前に移住した人にオニギリもらってね。よく覚えてるよ。そんなジャングルに行っても何もないから、(ブラジルに)残れ、残れって。親切だったね」
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会場内のほぼ中央に建てられた入植五十周年記念碑。幅十七メートル、高さ三メートル。制作を担当したのは、ボリビアを代表する芸術家、ロルヒオ・ヴァカ氏。
壁面には、開拓当初の生活や移住者を運んだ蒸気機関車、密林伐採、農業の発展を遂げた象徴でもあるサイロ。そして中央には移住協定締結に尽力したエステンソーロ大統領が描かれている。色彩豊かにサンファンの半世紀が表現された作品だ。
碑建設に奔走した早坂和夫氏は「入植五十年に相応しい贈り物となった。ボリビア国との友好と地域住民との掛け橋となっていきたい」とあいさつ。
元海外協会連合会初代ボリビア支部長であった若槻泰雄氏作詞の「ボリビア開拓の歌」がコレヒオ・サンファンの鼓笛隊によって演奏され、除幕時歓声を上げた約七百人の出席者も声を合わせた。
この碑には、計画、呼び寄せ、単身、花嫁などサンファンの地を踏んだ全移住者、千六百二十五人の名前が石版に刻まれている。現在、そのうち、現在移住地に残るのは約二割だという。
記念碑碑前に据えられた小泉首相の揮毫碑の除幕もサンファン日本ボリビア協会、日比野正靭会長と在ボリビア大使館、白川光徳特命全権大使の手によって行われた。
「拓けゆく友好の懸け橋」。揮毫の言葉は、移住地内で募集。地域でのサンファンが担うこれからの使命を確認した。
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記念碑の背後には鬱蒼とした森が広がる。かつて「犬も通わぬサンファン」と言われた当時を忘れまいと、移住地内に残った原始林を自然公園として保存するプロジェクトが現在、進められている。つづく