2005年9月1日(木)
日本移民百周年までに日系美術館の設立を―。リベルダーデ区サンジョアキン街の旧カンポス・サーレス州立校をインスティトゥート・マナブ・マベが中心となって復元し、日系美術館を設立する方針が固まった。これは故・間部学さんをはじめとする日系画家の夢。その第一歩として、調印式がサンパウロ州政庁で午後十二時から行われた。式にはジェラウド・アウキミン州知事を始め、間部よしの夫人ら関係者が多数会場に訪れた。
同州立校は名高く、数多くの生徒が通ったが、一九九二年の火事で半焼し、事実上「廃墟」となっていた。関係者が口々に言うように「東洋人街だし、日系美術館を建設するにはぴったりの場所」と、二年程前から計画が進められてきた。また、同地は文協から約百メートルの距離に位置することも決め手の一つとなった。
間部学さんは一九九七年に死去。一九五九年にプロの画家として活動を始め、才能を発揮、日本人画家としてブラジル社会に影響を及ぼした。夫人のよしのさんは「これは生前からの主人の夢。ちゃんとした美術館を設立してたくさんの人に見てもらいたい。日系人画家の作品も展示して皆で一緒に事業を進めていきたい」と話した。
息子であり画家の健さんは「父の彫刻などのコレクションも飾りたい」、有剛さんは「子どもを対象とした絵画教室も開きたい」と抱負を語った。
「よく一緒に展覧会をした」と言う画家の豊田豊さんは「これは我々の夢でもあった。日系の画家は努力し、ブラジルでも認められるようになった。それを守っていくためにも私たちも力を合わせて頑張っていきたい」と意気込みを示した。
アウキミン州知事は「移民の方が苦労してブラジルの農業などに貢献した。同じように美術の面でも立派だ、それを誇りに思う」と敬意を表した。上原幸啓文協会長も「百周年に向けて州政府が動き出した第一歩。このような企画にとても感謝している」と述べた。
今後は二〇〇八年までの設立を目標に、どのような作品を展示するかなど具体的な方針を練っていく予定だという。