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ボリビア・サンファン移住地50周年=開拓、その苦闘の末に=連載(下)=移住地支える若い世代=初代サンファン市長も誕生

2005年9月2日(金)

 現在、西川橋がかかる移住地入口に流れるテヘリヤ川。
 「三途の川って呼ばれてた。『出るも地獄、残るも地獄』ってね」。ブルドーザーを操り、移住地造成に携わった〃ブル池〃こと池田篤雄(70)さんはいう。「あのころは本当にひどかった」
 ゼロからの出発。「騙されたっていうのが実感だったよね」。五七年に入植した日比野会長(66)は当時を振り返る。
 移住地から五キロ離れた収容所に置いた荷物を取りに行く。夜明け前に出て、家に帰ると日は暮れた。それだけで二ヵ月を費やした。「馬殺しの道」といわれた泥沼だらけの道が行く手を阻んだ。
 入植当時、道路総建設は早急な課題だった。
 「ブルドーザーが着いた日はほんと嬉しくてね、みんなで一日中、見守ってたよ」と日比野会長。移住者に希望を与えたその轟音が甦る。
 先月、政府から贈られた最高勲章「コンドル・デ・ロス・アンデス」。移住地を代表して受け取った日比野会長は記念式典であいさつした。
 道もない原始林、ほえざるの声におびえ、蛇や蚊に悩まされた苦難の連続だったあの日々。今では夢のような体験だった――。
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 GUIA(案内係)の名札をつけ、式典会場に目を配るのは、青年会のメンバーたち。四十六人の会員のうち、移住地に残るのは十数人。今回三十人近くが古里に集った。
 副会長、日比野善之さん(25、二世)は、建設関係の仕事でサンタクルス在住。
 「どこにいても、開拓に来た祖父母、両親のことをみんな誇りに思っていると思う」と背筋を伸ばした。
 「十三時間かかりました」と笑うのは、中米エル・サルバドールから帰省した仁田原幸さん(27)優(18)さん姉妹。
 幸さんは二〇〇〇年に発行された日本人移住一〇〇年誌「ボリビアに生きる」のスペイン語版の翻訳を手掛けた。
 「おかげでサンファンの歴史も勉強できたし、やっぱり生まれ育ったところだから」とあくまで自然体。
 祝賀会の幕開けに、サンファンで十一年間習った日本舞踊を披露した優さん。「五十周年で踊りたかったから」と満足そうに微笑んだ。
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 「我々の役割は一世の築いたものを受け継ぎ、周囲と友好関係を作っていくこと」。今年一月、サンファン初代市長となった伴井勝美さん(39)は表情を引き締める。
 昨年末の選挙で所属政党が五四%を得票、五年間の舵取りを担う。
 現在、地域住民が移住地に対し、土地を要求するなどの問題も持ちあがっており、全住民の八%にしか過ぎない日系人と現地住民との経済格差は開くばかり。反発も根強いという。
 「厳しい中でのスタートですが、お互いに尊敬できる関係作りがサンファン発展への課題でもあり、挑戦です」。若きリーダーはほぼ日系人で占められた会場を見渡した。
 今月二十一日、サンファン出身の長谷倫明さんが大統領候補に出馬表明した。半世紀がたった今、移住地生まれの新世代は受け継いだ開拓精神を発揮し、更なる一歩を踏み出そうとしている。おわり
   (堀江剛史記者)