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事業予算81億円を承認=百周年祭典=協会理事会=式典はサンバ会場で

2005年9月6日(火)

 今年上半期の収入が十九万レアルだったブラジル日本移民百周年祭典協会(上原幸啓理事長)は三日の理事会で、三年後までに約七千四百万ドル(一億七千四百八十一万レアル=約八十一億三千四百万円)を使う記念事業予算案を承認した。今年とおなじペースで集金すれば〃四百年〃かかる計算だ。そのほか、人事変更の承認、事業計画の第三次募集を呼びかけ、サンパウロ市の式典会場はサンボードロモとすることなどを決定した。上原理事長らは十三日から東京で行われる海外日系人大会の機会に日本側に記念事業を説明して回る予定。あと二年と九カ月に迫った百周祭だが、莫大な予算を組んだ割には資金繰りの具体策が示されないなど、先行きの不透明感が拭えないようだ。
 午前九時に開始し、途中の昼食休憩をはさんで午後三時過ぎまで熱心な議論が行われた。出席した副理事長は十九団体。ブラジリア、カンポ・グランデ、アラサツーバ、サントスなどからも出席し感心の高まりが伺われた。
 承認された記念事業総額約七千四百ドルの内訳は、百年祭式典(ブラジリア、サンパウロ市)が二百四万ドル、二十二の公認主催行事が三百七十八万ドル、五つの共催行事が十七万ドル、十三の支援行事が十五万ドル、「日伯総合センター」(場所未定)など建築四事業で六千五百二十万ドル、事務局費が二百六十四万ドルとなっている。
 「日本政府は箱モノには資金を出せないと何度も明言しているが大丈夫なのか」との疑問がだされたが、かまわず採決された。
 祭典協会自体の収支報告によれば、今年一月から半年分の収入は約十九万レアル(支出=九万、残高=十万)。記念事業総予算の約八百分の一だ。
 総務副委員長の一人は記念事業の資金繰り関して「がんばったらできる」と楽観した。「一人が一日一レアルずつ寄付すれば三年で千レアル。それが三千人いればもう三百万レアルだ。コロニア企業百社が五万レアルを百社、進出企業百社が五十万レアル、ブラジル企業から・・・」などと皮算用を披露したが、財務委員長はいぜん決まらず、正式な資金調達計画は討議されなかった。
 谷氏からは「理事会を開く場合は、事前に議題や関連資料を送ってくれないときちんとした検討はできない」との抗議が寄せられ、上原理事長は「次からは送るようにしましょう」と答えた。この要請は以前から何度も行われているが、今回も討議資料は事前送付されなかった。
 作業を加速させ、意思疎通をよくするために常任理事会を創設するべきとの提案が、県連の中沢宏一会長やアラゴアス日本人会代表の谷広海氏らから出されたが、渡部和夫顧問や吉岡黎明委員長、平野セイジ委員長などからの反対で棚上げされ、後日の再検討にまわされた。
 中沢氏は「理事会が最高権限を持つといいながらも、事実上この会議を動かしているのは、委員会などの下部組織の人間。これでは理事会の意味がない。委員会は別に会議を開いて権限を明確にするべき」との意見を出した。
 まとめ役的な発言に終始する上原理事長に対し、副理事長から寄せられた批判や疑問の大半に答えるのは渡部顧問であり、相変わらずの大きな存在感を印象づけていた。
 県連や文協、援協などでも各委員会の長は副会長が兼任するが、副理事長の大半が遠隔地のためか百周年協会の場合は兼任しない。副理事長の一人は、「委員長はサンパウロ市在住の有識者が多いため幹部の旧友や知人が多く、結果的に一部の人間が動かしているという批判を招きやすい状況になっている」と不満げにかたった。
 訪日旅費は文協が負担するのかとの質問に、上原理事長は珍しく声を荒げ、「私は個人として日本に行きたいと思わない。私にも個人の生活がある。仕事があるから行くのです」と自費渡航する気がないことを明言し、歴代の文協執行部と一線をかくした。
 次の人事も承認された。柳沼啓太郎=総務委員長、大浦文雄=同副委員長、山中イジドロ=政府関連担当、田中洋典=祭典委員長、平野セイジ=文化委員長、小松雹玄(元JICAブラジル所長)=プロジェクト委員長、専任理事=西尾ロベルト(敬称略)。
 最後に、〇八年六月二十一日(土)に予定されているサンパウロ市式典の会場が検討され、サンボードロモ(サンバ会場)に決定された。
 五団体を交えた会議を十月一日に行い、次回の理事会は十一月五日に開催することを申し合わせた。