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戦没者、先没者に黙祷=ロンドリーナ=平和友の会の「終戦60年」

2005年9月7日(水)

 [ロンドリーナ]平和友の会(旧戦友会、間嶋正典会長)の八月例会が、去る八月九日、ロンドリーナ市内の台湾食堂で開かれた。谷口幸一さんが司会、午前十時半、戦没者に一分間の黙祷、続いてブラジルの開拓先没者にも黙祷した。間嶋会長が終戦六十年のあいさつを述べた。
 続いて会員たちの終戦当時の回想。
 中川芳則さんは「笠戸丸移民中川トミさんの出身地、熊本県飽託郡城山村の祖父(笠戸丸移民)の家にいたが、終戦前、城山小学校は軍守備隊の駐屯地となって、将校たちは、村の民家に分宿が決まり、祖父の家も一部屋提供していた。将校は、軍務のことはもちろん、何一つとして語らず、終戦となって、ありがとう、さよなら、の一言を残して去って行った。姓名も出身県名も明かさなかった。やがて進駐してきたアメリカ兵は予想以上に優しかった」と語った。
 高橋宥揚さんは「大分県宇佐海軍航空隊基地にいたとき、終戦、除隊となった。帰郷時に船便を利用して広島に上陸し、原爆投下後の惨状を見た」と体験談。
 北海道から樺太の野戦病院に衛生兵として派遣されていた安中裕さんと妻の洵子さん(七月他界)の一文が、代理によって読み上げられた。要旨は「終戦一週間後、本土帰国のため、豊原駅に集合していた約千二、三百人の日本人の集団が、突然、ソ連機の空爆を受け、多くの死傷者を出した。戦争中ならばともかく、終戦決定の一週間後の非道な空爆に憤りを感じた。戦争による悲劇は、語り尽くせるものではない」。
 昼食後、余興にはいった。谷口さん、中川さんが漫談を披露して和やかな雰囲気のうちに、午後二時半散会した。