2005年9月16日(金)
広島、長崎での平和式典に出席した在ブラジル原爆被爆者協会(会員数百四十人)の森田隆会長や盆古原国彦さんらがこのほど帰国し、十四日午前、公式行事や係争中の裁判などについて報告した。
今年は被爆六十周年の節目の年だった。広島、長崎両市がそれぞれ二人、在ブラジルアメリカ原爆被爆者裁判を支援する会が一人、計五人をブラジルから招待し、自己負担者を含めて同協会関係者九人が日本に向かった。
森田会長は「国境を越えるヒロシマ、ナガサキ在外被爆者写真展」(七月二十七日~八月一日、東京)に足を運んだ後、式典に臨んだ。
東京では厚生労働省も訪れた。政府が昨年十月からスタートさせた医療費助成事業(年間十三万円)について抗議。「昨年十月~十二月分の申請書類が送られてきて返信したのに、何も言ってこない。それで確認したら、南米では十人しか支給されていなかった。県庁や実施機関が絡んでくるために、指揮系統が複雑のようなんです」と不快感を示した。
医療費助成は、健康保険プラン加入者が対象になっている。ブラジルでは医療費が先進国並みに高く、高齢者が新規加入すると家計を圧迫されるため、敬遠する被爆者が少なくない。「みんな一律に受給できるようになれば、公正だと思うんですけど」と顔をしかめた。
郭貴勲裁判の大阪高裁判決(〇二年十二月)を機に、海外の被爆者も管理手当ての支給を受けられることになった。在外被爆者裁判ではまだ時効問題が残されており、八月末に広島高裁で開かれた口頭弁論に証人として出廷。県庁職員が広島県人会事務局長宛てに、関係者を名指しで非難するメールを送りつけたことなどを告発した。
政府は今年末をメドに在外公館で手当ての申請を可能にする見込みだと、一部で報じられた。森田会長は「帰途、経由地のニューヨークで、旅客機が滑走路に出た後、妻が体調を崩した。JALの日系人職員に付き添ってもらい、病院で治療を受けた。被爆者にとって、日本まで往復するのは本当に無理です」と訴えた。
イビラプエラ公園の現代美術館(MAC)でサンパウロ大学が企画した「ヒロシマ展」が十月九日まで開かれており、多くの来場を呼びかけている。