2005年9月20日(火)
【エスタード・デ・サンパウロ紙十九日】与党第一党を誇る労働者党(PT)の党首および全国支部の幹部を選出する党総選挙が十八日、全国で一斉に行われた。全国四千六百三十八都市に存在する八十二万五千四百六十一支部で八十五万人が投票した。
全国八万二千八百十六の要職に対して十二万人が立候補し、しのぎを削った。なかでも注目されるのが党総裁選挙で、ルーラ大統領が二十五年前に創立以来初めて七人が立候補するという混戦となった。開票には約一週間を要すると見られているが、党内では未曾有の決選投票に持ち込まれるのは必至と衆目の一致したところだ。
これまでPTを支配してきた多数派グループが擁したベルゾイーニ候補も、当初の一次投票での勝利の予想をくつがえされ、決選投票の第二ラウンドに向けて地固めを進めるとの宣言を行った。これによりルーラ大統領が中心となって結成し、現政府の主要閣僚を占める多数派グループの一枚岩に亀裂が生じたことを如実に示すとともに、百日間にわたる政局混乱の原因となったPTの不正資金スキャンダルに対して党内の批判票が根強いことを露呈し、改革を叫ぶ声が多いことを証明した。
さらにこれに追い打ちをかけたのがルーラ大統領の選挙棄権だ。党創立者でもあり、現状を打破し党内統一に向けて大統領の参戦が不可避と期待していた関係者らには、スキャンダル以上にショックが走った。
大統領が現れないまま投票が締切られた直後、ベルゾイーニ候補らは落胆を隠せず、大統領の立場があろうが、党員の一人として(選挙会場に)姿を見せても良かったのではと述べた。関係筋では大統領は党内の勢力争いに加担することを避けたとの見方が強いが、側近筋では大統領の日頃の言動から、政権とPTとの一線を画し、PTと距離を置く態度を明らかにしたものだと分析している。
党発祥の地で大統領の出身地でもあるサンベルナルド・ド・カンポ市の党本部投票所では「オラが党のルーラ」の出現を今か今かと待ち受けていたが、空振りに終わった。党本部から車で十分のマンションにいる大統領だが、締切り間際には幹部ら全員が表に集合して大統領を出迎える態勢を敷いていた。「彼はブラジルの大統領なのだ」と肩を落してつぶやく声が大勢を占めた。PTは二十五年の間、九人の党首を波風立てずに選出している。
▼一九八〇―一九八七、創立党首ルーラ▼一九八七―一九八八、オリビオ・ドゥトラ▼一九八八―一九九〇、ルイス・グシケン(前職のドゥトラがポルト・アレグレ市長選に打って出たため)▼一九九〇―一九九三、ルーラ再就任(一九八五年の大統領選でコロル候補に敗れたため返り咲き)▼一九九四―一九九五、ルイ・ファルコン(ルーラが大統領選再出馬で就任)▼一九九五、ルーラ(再度の敗戦でまた返り咲き)▼一九九五―二〇〇二、ジョゼ・ジルセウ(三戦を果す)▼二〇〇二、ジョゼ・ジェノイーノ(ジルセウの官房長官就任に伴い、その後二〇〇五年七月にスキャンダルで辞任)二〇〇五、タルソ・ジェンロ(スキャンダル処理の重責を担い登場、今回の選挙でも有力候補だったが、ジルセウ前官房長官との確執が表面化、立候補を取り止めた)。