2005年9月27日(火)
永住を覚悟で渡伯、当地での生活が約十年目になる富山県出身の本庄さおりさん(36)は、「雪国育ちだからこの暑さが辛い。それが今でもブラジルを好きになれない理由」だと言う。現在、ペルナンブッコ州ペトロリーナ市で医者の夫と、三人の子どもと共に生活している。
「来た時は全てが日本と違って、ただ唖然とした。おつりを飴でもらうことにさえも怒ってた」。ブラジル人の時間にルーズな面に対してもいつもいらいらしていたと言う。しかし、四年が過ぎた頃から少しずつ慣れてきた。そのきっかけになったのは引越し。着伯当初はバイーア州のジュアゼイロにいた。そこから川を挟んだペトロリーナに移り住み、「そこはまわりがほとんどブラジル人。でも同市内で次に引っ越した所は移民や日系人が多かった」と話す。
「一世が『君が代』を歌っているのを見て、祖国愛を感じてじーんときた」。一世移民と触れ合う機会も多く、百二十家族がいるという日本人会の会員にもなり、行事にも参加している。「来た当初と日系人社会も変わってきている。会長が一世の時は、日本の行事をすごく大切にしていた。二年前に二世の会長になってからは、日本の文化をブラジル人社会に紹介するような感じになってきて、非日系人の参加者も増えてきた。これも自然の流れだと思う」。
「やっぱり私は日本人だ」と言う本庄さんは、家庭内でも日本語を大切にしている。「子どもが日本語を話さなかったら悲しい」と、日本語学校にも通わせている。夫のジルソン・ペレイラさん(38)とも日本語で会話をする。家庭内の食事も日本食。ジルソンさんは文科省の留学制度で富山医科薬科大学に二年間在学していた。「日本が以前から好きだったが、もっと好きになった」と、本庄さんが二年に一度帰国する際も一緒に行くほど。
「ブラジルに来て宗教のことを強く意識するようになった。自分の宗教を持ってないと、動物扱いされた」と振り返る。「やはり日本人である私のルーツは仏教だ」と、本を購入して勉強をした。「日本の学校でも、昔みたいに仏教の時間を時間割に組み込んで勉強してもいいと思う」。
最近では、ブラジル人の見る目が気になるようになってきた。「服装とか。昔は着の身着のままだった。でもこれが慣れてきた証拠かな」。
また、今の日本人の悪い所も見えてきたと言う。「誇りがないように思う。自分たちのいい文化に気づいてなくて他国と同化しようとする」と憂慮し、「特に日本ならではの楽器が良いと私は思う。三味線とか。もっと日本文化が広まって欲しい」と語気を強める。
「日本を出る時は、十年経ったら日本で生活するくらいスムーズに生活することを目標としていたけど、十年が経とうとしている今でもまだまだ」。 つづく (南部サヤカ記者)
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