2005年10月1日(土)
サンパウロ州モジアナ線のイトビ市で九月二十四日、モコカ市近郊のアスパーゼ植民地出身者が集まり旧交を温めた。植民地出身で現在イトビ市で農場を営む佐元陸展さん(みちのぶ、70)が呼びかけたもので、近郊から佐元さんの関係者など約三百人が農場に足を運び、にぎやかな一夜を過ごした。
サンパウロ市から北へ二百六十キロ。ミナス州境の町モコカ市近郊のアスパーゼ植民地は、戦後のサンパウロ州で初めて導入された日本人計画移民である養蚕移民の入植先の一つとして一九五四年一月に開かれた。
植民地の面積は五百五十アルケール。バストスやバウルーに次ぐ四十一家族が入植したが、土地が悪く、桑が育たなかった。
そのため当初は米作、後に養鶏などを営んだ。最盛期には六十六家族が暮らし、日本人会や農協も活動。植民地内の学校に通う子供は多い時で三十人ほどいたという。
後に養蚕に携わる人もあったが、時とともに入植者の多くは農業をやめ、モコカなど近郊の町に出て行った。現在は三家族が同地で暮らしている。
この日の集まりを呼びかけた佐元さんは五五年九月、二十歳の時に両親と四人の兄弟とともに渡伯し、アスパーゼに入植した。
同地で十二年間農業に従事した後、六九年にモコカ近郊のイトビ市に移り、現在は六五アルケールの農場でとうもろこしの栽培や養豚業を営んでいる。
自身の渡伯五十年の節目に、同じあめりか丸で海を渡った同船者やアスパーゼ出身者のほか、これまで一家が世話になったブラジルの人たちに恩返しをしたいとの気持ちから会を企画したという。
午後五時から開かれた集まりには約三十人の同船者、植民地出身者のほか、近郊などから約三百人が訪れた。「五十年経っても皆さんの顔は若々しい。今日は昔に戻って昔話に花を咲かせてください」、会の冒頭、佐元さんは出席者に語りかけた。
この日はミナス州やサンパウロ市など遠方から参加した人もあり、五十年振りの再会を喜びあう姿も見られた。
佐元さんの妹で現在はサンパウロ市に住む藤田富子さん(65)は「同じ船で、同じ植民地に入って、身内みたいなもの。苦労も忘れてしまいますよ」と懐かしい顔との再会を喜ぶ。
「あちこち移ったけど、最初に来たところだから、第二の故郷みたいなものですよ」と語るのは、ミナス州ツルボランジアで果樹栽培を営む谷脇カツさん(61)。この日、十年ぶりに同地を訪れた。
十一歳で渡伯し、二年間をアスパーゼで暮らした谷脇さんは「大霜の年でね。サントスからトラックで植民地に向かう途中、作物が真っ黒になっていました」と入植当時を振り返る。
会場では、佐元さん一家の在伯五十年の歩みを紹介するスライド上映や、正面に置かれた記念のボーロを前に同船者一同や植民地出身者の記念撮影などが行われた。
アスパーゼの出身者は会場の一角に集まり、午後九時過ぎまで旧知の仲間たちとの会話を楽しんでいた。