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感動あらたに=『ハルとナツ』=エキストラ参加者=「こんなに泣けるとはコロニアから延べ800人も

2005年10月7日(金)

 「自分たちが参加したことでストーリーをすごく身近に感じる」。六日に全五話を放送しおわったばかりのNHK開局八十周年記念ドラマ『ハルとナツ』には、地元コロニアから延べ七百~八百人もが参加した。〇四年四月に行われた公募受付けには、約一千人が駆けつけたほど注目が高かった。同五月二十三日にカンピーナスの東山農場に設けられたセットなどで撮影を開始し、有名俳優が入れ替わり立ち代り来伯し、七月まで行われたことは記憶に新しい。選ばれて参加した人々に、完成したドラマをみた感想とともに、出演者ゆえの熱い思いと裏話を聞いてみた。

 「私自身が移民だからエキストラといえども、移民船に乗って来た頃のことを思い出したよ」。玉腰豊子さん(67)は一九五九年にコチア青年の妻として渡伯した。ドラマではハルたちを乗せた船がサントスに着港し、配行先を告げられるまでの間、荷物に座って待つ一移民を演じた。
 息子一人と孫七人も揃って参加。「孫たちは移民を経験していない。でも自分たちが出演したこともあって目を皿にして観てた」。日本語がわからないので、父親などに聞きながら話の流れを理解しているそう。
 「これは二、三世に移民がどのような生活をしていたかを伝えるのにいい機会。日本にいる親戚もみんな観ているって」と笑い、「日本に住む人々に改めて移民について考えてもらえるといい」と語気を強めた。
 「時代背景を少しでも知っていた方がいいだろう」と、弓場農場では放映を機会に日本語教室で戦後までの日本の歴史を勉強している。同農場に住む矢崎勇さん(25)は高倉家の友達として出演。移民が農場を追い出される場面では「僕も今農業をしているのでせっかく育てた土地を追い出されるのを想像すると感情がこもった」。また、「今はチェーンソーとかあるから作業が楽だけど、改めてドラマを見て一から開拓した人々は大変だったんだ」と実感したと言う。
 熊本小次郎さん(17)は同農場の皆でドラマを見ながら「泣いちゃった。こんなに泣けるとは」と話す。ハルと幼年時代をともに過ごした拓也の兄役として出演。「ハルと別れる場面では演じながら感情移入してしまって話の中だけど、別れた家族に会いたいって思った」と振り返る。
 結婚式の場面でバンドの一員としてクラリネットを演奏した広瀬秀雄さん(62)は、夜中十二時にサンパウロを出発し、夜中にカンピーナスに着いて衣装合わせや化粧をしたことが面白くもあり、大変だったと言う。「演奏したのは一九三〇年代に流行った『ボトエンス・デ・ラランジェイラス』。結局、このシーンは放映されなかったけど、バンドに日本人を起用するなどの細かい配慮でドラマに厚みが出ていると思った」。
 「私の父は認識派だった」と話すのは二世のタンジ・ミキオさん(64)。勝ち組を説得しようと負け組みが主催した会議で喧嘩をする場面では「皆、本気で殴りあうような感じで笑ってしまって大変だった。でもこのシーンに出演することで勝ち組の人たちの『敗戦を認めたくない、信じていたい』という気持ちを知ることができた」。
 戦時中、ハルの父が留置所に入れられる場面では「私の父もそんなことがあった」。五右衛門風呂のようなものを作り、見回りをしていたブラジル人に子どもをお風呂に入れさせてあげている様子を見られ「子どもをゆでている!」と勘違いされたそう。
 タンジさんが日本に行った際、親の郷里の校長先生に会いブラジルの話をしたら「移民がそんな苦労をしていたなんて知らなかった」と言われたことを思い出し、「今放映されているのを日本で観て、改めて私のした話を思い出してくれれば」と話した。