2005年10月7日(金)
戦前の早い時期から多数の日本人が入植したサンパウロ州ヴァーレ・ド・リベイラ地方ジュキア市で、ガイジン(非日系)の日本人会長が奮闘中だ。
同地日伯文化体育協会のジウベウト・デ・ソウザ・オリヴェイラ会長(35)。同地方の日系団体連合会議でも積極的に発言し、関心を集める。出稼ぎ生活で覚えた流ちょうな日本語で、「選んでくれた会員のためにもがんばりたい」と意気込む。
雑貨店とパン屋の主人。会長を引き受けたのは、今年二月から。約百三十人いる会員の拡充と、町から離れ、危険な国道沿いに建つ会館移転が今後の課題だ。
「会員をもっともっと増やし、町の中に会館を建てることが夢ですね」
パラナ州ロンドリーナ市生まれ。十六歳からジュキア市に。日系二世の松永ひろみロズメイリさんと知り合い、結婚。六歳の男児と三カ月の女児の父親だ。
初訪日は九一年、二十一歳だった。以来、ブラジルとの往復生活が続き、計九年間日本で働いた。
最初は言葉がわからず苦労した。日本人社員が話す言葉を書き取り、帰宅後、辞書で調べるなど独学。それでも分からない場合は、「昨日あなたはこういいましたが、それはどういう意味ですか」と尋ねた。
広島、金沢、長野、日光、仙台……。休日には日本各地を旅行して歩いた。出稼ぎ時代は辛いこともあったが、良かったことの方が多いと振り返る。
「今日の私があるのは日本のおかげ。色々なことを学び心から感謝している。NHKをみていると懐かしくて体が震えることも。ときどき、ひとりで涙を流しながらみているんです」
(レジストロ、金子国栄さん通信)