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「桃の里」はいま=観光農業を推進=サンパウロ市東部イタケーラ=植民地が80周年=日系クラブが式典開催へ

2005年10月21日(金)

 かつて「桃の里」と呼ばれ、養鶏も盛んだったサンパウロ市東部イタケーラ植民地が今年、入植八十周年を迎え、記念式典が十一月六日午前九時から、イタケーラ日系クラブ会館(Rua Masato Misawa,200,itaquera)で開かれる。市内で最も古い日本人入植地の一つ。野菜・果樹で脚光を浴び、ここから全国に広まった作物も多い。いまは花卉栽培者が目立ち、観光農業にも力を入れている。クラブの関係者は「当日は昔話に花を咲かせましょう」と参加を呼びかける。

 一九二五年、入植が始まった頃、サンパウロ市の人口はまだ百二十万ほどだった。
 州内を中心に各地からイタケーラに集まった日本人入植者たちは収穫した作物を天びんに乗せ、イタケーラの駅からカンタレイラ街の市営市場まで売りに出ていたという。
 式典案内に来社した同クラブの井上イザキ理事長、小田セルジオ評議会会長、鈴木康夫・式典実行委員長によると、日本人会の設立は三六年。四二年には「共済会」と改称した。
 やがて食糧供給地として発展を遂げる。アスパラガスやトマト、イチゴ、桃などはここから各地に広まったとされる。
 中でも桃の栽培が有名で、戦後の四九年から六九年まで十七回にわたって「桃祭」を開催し、「桃の里」とも呼ばれた。
 六〇年代には養鶏も盛んに行なわれ、二百を超える日系家族が暮らしていた。
 その後、都市化とともに入植者が減少。共済会は八一年にクラブ制に移行し、「日系クラブ」として今に至る。現在の会員は約百家族。入植の二年後から行なわれている運動会は今年で七十六回を数える。
 植民地の日系人口は約四百人。花の栽培を中心に観光農業を進めているという。
 式典当日は午前九時から先没者の慰霊追悼法要。式典では歴代の共済会会長、日系クラブ理事長に記念品を贈るほか、植民地の功労者に対し市議会から記念のメダルが贈呈される。
 午後は記念の祝賀会。昼食会のほか、各種アトラクションが披露される。
 「今回(八十周年)が最後かもしれないと思っていましたが、若い人たちが『九十周年は自分たちでやります』と言ってくれました」と、鈴木委員長はうれしそうに語る。
 クラブでは来年二月の完成を目指し、八十周年記念誌の編纂を進めているという。