2005年10月29日(土)
来月三日日まで開催中のサンパウロ国際映画祭に、フィリピン日系人の姿を描いた作品「アボン・小さい家―地球で生きるために」(日本・フィリピン合作)が参加している。フィリピンの山岳地帯に暮らす日系人家族の生活を通して、自然とともに生きることの大切さを問いかける作品だ。映画祭参加にあたり、監督の今泉光司さんが来伯、二十七日夜に最初の上映が行われた。二十九日にはサンパウロ文化センター、一日にはMISで上映が予定されている。
舞台はフィリピン・ルソン島北部の町バギオと、そこから五州にまたがって広がる山岳地帯コルディリエラの一地方。イゴロット(古代タガログ語で山の民の意)と呼ばれる山岳民族が暮らす地域だ。
主人公は日系三世のラマット。バギオに暮らすラマット一家の妻が外国に出稼ぎに出ようとするが、斡旋業者の偽造パスポートが見つかり逮捕されてしまう。ラマットに残されたのは業者への多額の借金。やがて主人公は三人の子を連れて山岳地帯に暮らす両親の元へ戻り、そこで自然の恵みとともに生きる人々の生活に触れていく。
映画の舞台となったバギオには一九〇二年ごろから、アメリカ軍慰安施設の道路建設のため、世界各国から労働者が集まった。日本からは約二千五百人が渡り、現地女性と結婚して住み着くようになった。戦前のバギオには日本人町が形成され、目抜き通りには日本商店や旅館、料亭などが軒を連ねていたという。
そして戦争の時代。日本軍のフィリピン占領が同国の日系人の運命を変えた。アメリカ、日本の両方からスパイ扱いされ、日本軍の敗走とともに多くの人が犠牲になった。
戦後、父親たちは日本へ帰国したが、残された日系人は地元フィリピン人の虐待を受け山中へ隠れた。七五年に日本フランシスコ会のシスター海野が同地を訪れて日系人を町へ呼び戻すまで三十年に渡り、日本名を隠してひっそりと暮らしていた。
現在バギオには「アボン」という名の日系人会がある。日本へのデカセギもあるが、祖父の戸籍など日系と証明できないなどの問題も出ている。
「ブラジルは二度目」という今泉監督は現在四十五歳。日大芸術学部を卒業、広告制作に携わった後、「死の棘」などの作品で知られる小栗康平監督の助監督を九年間つとめてきた。
九一年に同地を訪れ、日系人の歴史を知った。自身の映画のテーマを模索するなか、戦争中に日本軍がいた土地を巡って東南アジアの国を訪ねた、その最後の場所がフィリピンだった。
カトリックの国フィリピンで、イゴロットはいまも古代から続く宗教観、生活、伝統を受け継いでいる。「アニミズム(精霊信仰)や先祖崇拝の習慣など、日本人に近い部分がある。ここが自分の探していた場所かもしれないと思いました」と、今泉さんは製作のきっかけを語る。
九六年にバギオに生活拠点を移し、地元の大学で神学を教えるクリスティーナ・セグナケンさんと協力して三年かけてシナリオを執筆した。準備の期間を含め完成まで七年の年月がかかったという。出演者はプロの俳優のほか、地元の日系人などからオーディションで選んだ。
製作にあたり、今泉さんはNPO法人「サルボン」を設立。市民と協働して映画を発信する、新しい試みだ。「これは商業映画にはできない挑戦。多くの人に見てもらいたい」と語る。
現在までに日本国内六十八カ所で上映会を開催した。インドやタイ、ベルリンなど世界各国の映画祭にも参加している。地元バギオでも上映した。「泣きながら見ている日系人もいました。感無量でした」。
「ブラジルの日系人がこの作品をどう見てくれるか、気になります」という今泉さん。「宗教や家族、環境問題など、この映画を通して、人間が地球で生きるとはどういうことなのか確認してもらえたら」と期待を込めた。
◎
「アボン・小さな家(ABONG:PEQUENHO LAR)」は二十九日午後八時十分からサンパウロ文化センター(Centro Cultural Sao Paulo、Rua Vergueiro,1000、入場無料)、十一月一日午後四時からMIS(Museu da Imagem e Som、Av.Europa,158)で上映される。英語・フィリピン語/ポ語字幕、130分。