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「円売り伝説の虚実」は本当か=ノンフィクション作家=高橋幸春=連載(4)=疑惑解明し「空白」埋めよ

2005年11月9日(水)

 円売りはあったが規模は小さい、被害者もいないという醍醐氏の主張と、「わずかばかりの円」と「買った人間は一人もいない」という水本前社長の言い分が妙に符合しているのは偶然なのだろうか。
 この取材の後、すぐに反応があった。私はなんらかの圧力があることを想定して、水本社長の取材は帰国寸前に行った。パウリスタ新聞社長に警察関係者から情報が寄せられた。サンパウロ新聞が官憲に圧力をかけて私のブラジル出国を妨害しようとしているというものだった。私は家族を連れていた。元連邦議員に搭乗スポットまで同行してもらい、無事帰国したことを記憶している。
 円売りについては、円の大量流入があったかどうかだけが問題ではない。混乱に乗じた新聞関係者が事実を闇に葬り去ろうとし、その後もサンパウロ新聞社自らが疑惑を明らかにし清算することもなかった。日系社会もそれを許してきてしまった。そうしたことが円売り事件を複雑にし、不鮮明にしてきた。それが問題なのだと、私は思う。
 出稼ぎに来ている日系人は二十数万人といわれている。生活に追われているせいなのかもしれないが、日系人児童の未就学の問題が次第にクローズアップされてきている。出稼ぎをめぐる問題は多岐にわたり、それだけではない。一世の苦闘が再び繰り返されているような印象を私は抱いている。
 在日日系人の組織もまだ形成されていない。彼らの声が日本人社会になかなか届かなくてもどかしい思いをしている。もちろん日系人を受け入れた日本側にも大きな問題はあるが、日系人の側にも問題があるのではないか。
 一世や、一世と運命を共にしなければならならなかった二世の苦闘と犠牲のうちに、ブラジルの日系社会の礎は築かれてきた。その歴史の中には勝ち組、負け組みの対立、ニセ宮様事件、そして円売りもある。思い出したくはないが、やはり語り継がれるべき歴史だと思う。それが確かなものとして三世、四世に伝わっていないのではないか。
 もうすぐ移民百年祭がやってくる。歴史の空白や闇を埋める最後のチャンスだ。歴史を語るのに「またか」などということはない。人の記憶は風化していく。だからこそ何度でも繰り返す必要があるのだろう。
 円売りに関して半田知雄氏は「(戦後日系社会の混乱に乗じた)陰謀の一小部分」と書いているが、「噂」が一人歩きし、混乱が拡大したとまで書いた記述を私は目にしていない。半田氏が故人であることを思えば、たとえ事実であっても醍醐氏は一人の作家としての見解を述べるべきだった。私はたまたま日系人を妻にし、妻の親戚が多数日本に出稼ぎやってきただけだが、それでも日系人には特別な思い入れがある。そんな私と違って醍醐氏は日系史をともに生きている作家なのだから。
 日本の作家は原典チェックを怠っていると批判する醍醐氏が、原典どころか「黒幕の一人」と名指しされた水本氏を取材していないはずがない。特定の個人を非難するためではなく、空白を埋めるためにも同氏の健筆を心から期待したい。         終わり

■「円売り伝説の虚実」は本当か=ノンフィクション作家=高橋幸春=連載(3)=新聞、銀行関係者も関与?

■「円売り伝説の虚実」は本当か=ノンフィクション作家=高橋幸春=連載(2)=水本氏の沈黙は歴史の闇

■「円売り伝説の虚実」は本当か=ノンフィクション作家=高橋幸春=連載(1)=醍醐氏説に落胆と苛立ち